スキー選手、サラリーマンを経て25歳で起業。ラップ好きパラスポーツ社長の異色の経歴とは?

パラスポーツの普及活動を行うセンターポール代表、田中時宗のヒップホップキャリア

ライター:TARO

ヒップホップ好きのスポーツ選手や文化人のキャリアや仕事について全4回に渡ってインタビューしていく「あの人も実はヒップホップ」。今月のゲストは障がいのある方が行うスポーツ、パラスポーツの支援事業を手がける会社、センターポールの代表、田中時宗(たなか・ときのり)さんにお話をお伺いしました。Vol.2では田中さんが学生時代に取り組んでいたアルペンスキーのお話や起業当時のエピソードなどを中心にお伺いしました。

前回の記事はこちら→ ヒップホップ好きパラスポーツ社長、田中時宗とは?

アルペンスキーで全国5位。ヒップホップ好きパラスポーツ社長の異色の経歴とは?

レペゼン:
今回は地元の話やどういう学生だったかなどをお伺いしたいです。

田中時宗:
ありがとうございます。僕は元々北海道出身で、アルペンスキーというスポーツを小学4年生から大学4年生まで13年間やっていました。部活だけで過ごしていたって感じですね。

レペゼン:
プロを目指されていたんですか?

田中時宗:
プロというか、競技を続けるという選択肢は考えてました。アルペンスキーという種目自体、それでご飯を食べていける人がほとんどいないんです。私も全日本選手権で5位に入ったりはしていたんですけど、全然食べられるって感じではなかったですね。

レペゼン:
なかなか厳しいですね…

田中時宗:
そうなんです。ただ、唯一競技を続けられる環境が消防士で。消防士って1日勤務したら、2日間休みじゃないですか。なのでスキーの調整をつけながら、ある程度は現役を続けられるなっていうのが頭にあったので、公務員試験を受けました。けど結局落ちて。全然勉強をちゃんとしてなかったので笑
で、とりあえず就職するっていう選択になったんです。

レペゼン:
なるほど笑
どういった会社に就職されたんですか?

田中時宗:
ハウスメーカーとかゼネコンの人が、建築関係の資格を取るために通う予備校っていうめちゃくちゃニッチな業界で、営業として働き始めました。

レペゼン:
そうなんですね。
そこからどうやって起業という流れになるんでしょうか?

人生を変えたパラスポーツとの出会い

田中時宗:
元々スポーツに関する仕事をしたいなとは思っていたんです。ただスポーツ系の会社に入るにしても、僕が働いていたのは建築関係の予備校なので、バックグラウンドが全然違うじゃないですか。だから転職活動できない。だったら起業した方が早いなということで、2012年に、25歳で起業しました。今考えたら大バカ野郎なんですけど笑

レペゼン:

そのバイブス好きです笑
起業した当初からパラスポーツの普及活動などをされていたんですか?

田中時宗:
いえ、最初はパラスポーツのことをまったく知らなくて。単純にアスリートとスポンサーのマッチングをやろうと思っていたんです。ただそれって自分の会社に所属してくれる選手がいないと、そもそも成立しないじゃないですか?それで色々な人と会っていくうちに、今僕と一緒にセンターポールの役員として働いてくれてる堀江航(ほりえ・わたる)という人間に出会ったんです。

【 堀江航さん 】

田中時宗:
彼は大学時代にバイク事故で片足を切断しているのですが、その後、車いすバスケのプレーヤーとして第一線で活動してきた人で。そんな彼と出会って障害がある方への認識が大きく変わったんです。

レペゼン:
どういう風に変わったんですか?

田中時宗:
それまでは正直、障害ってかわいそうという認識もありました。ただ堀江さんと出会って、彼の人を動かすエピソードやエネルギーに強く感動したんです。それがパラスポーツを仕事としてやっていこうと決めた一番大きなきっかけですね。

起業するもまったく仕事がない日々

レペゼン:
そこからはパラスポーツの普及活動をメインで行うようになっていくんですか?

田中時宗:
そうですね。ただ当時はまったく仕事がなくて、パラスポーツの仕事では全然食えなかったです。
本当にもうお金なさすぎて、貯金がみるみる減っていくっていう状況でしたね。

レペゼン:
2012年頃ですと、パラスポーツ自体の認知度も低かったように思います。
どうやって生活していたんですか?

田中時宗:
一応会社経営の他に、障害がある方の就労支援のお仕事もしていたので、ご飯を食べられなくなるということはなかったんですが、やばいなぁっていうのは思ってましたね。ただ動いていく中で応援してくれる企業さんもいたり、少しずつ理解して、協力してくれる人も増えていたりしたので、なんとか頑張ることができていました。

レペゼン:
良いですね。
その当時は、ヒップホップは聴いていたんですか?

MCバトルに励まされた創業時代

田中時宗:
めちゃくちゃ聴いてましたね。起業するタイミングの時にちょうどMCバトルが流行り始めたのもあって、特にMCバトルを中心にチェックしていたと思います。

レペゼン:
起業された2012年頃は高校生ラップ選手権などもあって、MCバトルがムーヴメントになり始めていた時期ですよね。

田中時宗:
そうなんです。戦極MCバトルの前身の戦慄MCバトルとか、UMBとか、YouTubeでめっちゃ観てました。
元々いた会社を辞めて独立するという時期だったのもあり、今思えばいろいろ感じている部分とか、吐き出したい部分があって。フリースタイルラップバトルを観てると、それを代弁してくれている感じがしたんですよね。それからラップバトルでかかるビートを調べて、日本語ラップを掘るようになりましたね。

レペゼン:
良いですね。元々いつ頃からヒップホップを聴いていたんですか?

田中時宗:
中学生くらいから聴いてましたね。特に好きだったのは、RHYMESTERさんです。
「ウワサの真相」はめちゃくちゃ聴いてました。

【RHYMESTER – 「ウワサの真相」】

レペゼン:
間違いないですよね。
特に好きなリリックはありますか?

田中時宗:
宇多丸さんの

この「現場」以外に「本場」なんてのは存在しない
外野のヤジは聞くにほとんど値しない

ですね。これはめっちゃ刺さりました。当時、「ウワサの真相」は地元の北海道のラジオでよく流れてて。特に思春期だったのもあって、めちゃくちゃ感化されてましたね。

ヒップホップに勇気をもらい、起業当初の苦しい時期を耐えていた田中さん。次回は会社の転換点となった東京でのパラリンピック開催、そして車いすバスケの事業について聞いていくよ!お楽しみに!

プロフィール

  • 田中時宗(たなか・ときのり)

    田中時宗(たなか・ときのり)

    一般社団法人センターポール代表。パラリンピックアスリートのマネジメントや、就労支援事業所の運営を行う。学生時代はアルペンスキーの選手として活躍。大学卒業後、一般起業に就職するも、「スポーツに関連する仕事をしたい」という思いから株式会社センターポールを設立。マイナー競技のアスリートをサポートするために、企業とのマッチングサービスを始める。そんな中で車いすバスケットボールのことを知り、パラスポーツの普及活動にフォーカスした事業を開始。現在は全国の学校や企業に対して、パラスポーツの研修、体験事業を行う他、障害のある児童への運動支援など多岐に渡る活動を行っている。

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