紆余曲折を経て、プロのカメラマンに—— ヒップホップを愛する写真家の仕事、音楽、そして人生

ロンドンでの試行錯誤、日本でのキャリア構築、そしてコロナ禍の街を撮る

ライター:TARO

ヒップホップ好きのスポーツ選手や文化人のキャリアや仕事について全4回に渡ってインタビューしていく「あの人も実はヒップホップ」。今月のゲストはヒップホップ文化をこよなく愛するフォトグラファー、小田駿一(おだ・しゅんいち)さん。ヒップホップにフォーカスしたマルチモーダルなプロジェクト「BLUEPRINT™」のファウンダーとしての顔も持つ小田さんのキャリアについて伺いました。Vol.3の今回は小田さんの写真家としてのキャリアのスタートから現在まで。

前回の記事はこちら→ ヒップホップ文化をこよなく愛するフォトグラファー、小田駿一

企業勤めを経て
単身ロンドンへ


小田さんがロンドンで初めて撮影した作品撮影

レペゼン:
大学生時代にロンドンに留学、ストリートスナップなどを中心に、写真のアルバイトをされていた小田さんですが、帰国後は大学に復帰されたんですか?

小田駿一:
そうですね。帰国後、1年間大学に通って卒業しました。当時はまだ自分がカメラマンになれるとは全く思っていなかったんですよ。なので普通に企業に就職し、それから少しの間サラリーマンをしていました。

レペゼン:
サラリーマン時代は、どんな仕事をしていたんですか?

小田駿一:
営業ですね。楽しかったんですけど、一生やることではないかなと思って。
採ってくれた会社には申し訳なかったのですが、辞めちゃいましたね。それで「もう一回ロンドンに行こう」と思い立って、ワーキングホリデーで2年間、再びイギリスに行くことにしたんです。

レペゼン:
なるほど。そこから本格的に写真を仕事に?

小田駿一:
いえいえ。最初は全然仕事にならなくて、向こうのデザイン会社で雑用みたいなことをしてました。日本のクライアント向けに資料を翻訳したり、リサーチを手伝ったり。そんな中で、だんだんとインディペンデントの雑誌などで仕事をもらえるようになり、なんとかロンドンで一人で食べていけるくらいは稼げるようになりました。

レペゼン:
すごいですね!

小田駿一:
でもギリギリですよ。一人暮らしでシェアフラットに住んで。東京でいうなら月に20万〜25万稼げているくらいの感じです。そんな感じでなんとか暮らしていたのですが、ビザが切れてしまって。当時ビザの更新って難しかったんですよ。雇用主がいたり、パートナーもいたりする必要があって。それでイギリスで継続して働くことが厳しくなり、最終的に帰国することを決めました。

日本に戻り、
カメラマンとしての道を切り開く

レペゼン:
ロンドンでの経験を経て、日本に帰国。そこからカメラマンとしてどうやって仕事を取っていったんですか?

小田駿一:

日本に帰国したとき、仕事の伝手になるような知り合いがほとんどいなかったんですよ。でも、大学時代に一緒にフリーペーパーを作っていた友達で出版社に勤めているやつがいて、その友達に「どうやって仕事を取ればいいのか全然わからないんだけど」と相談したんです。そしたら、何人か先輩カメラマンを紹介してくれて。

レペゼン:
なるほど。

小田駿一:
で、先輩たちに「どうやって日本で仕事を取るんですか?」って聞いたら、「撮った写真をファイルにして、雑誌の裏に載っている電話番号に電話して、ブックを見せに行くんだよ」とアドバイスされて。自分のポートフォリオを見せる「ブック見せ」っていうものですよね。あとは、アートディレクター年鑑とでもいうか、アートディレクターの連絡先がまとめられた電話帳みたいなものがあるから、それを使ってアプローチしろと言われて。実際にそれを実行していきましたね。

レペゼン:
アートディレクター年鑑とかあるんですね!
じゃあやっぱり結構泥臭い営業で仕事を獲得していった感じなんですね。

小田駿一:
そうですね。それで半年ぐらいでなんとか食えるようになりました。
それが2017年頃の話ですね。それで数年カメラマンとして食えていたのですが、2020年、コロナ禍で一気に仕事がなくなっちゃって。

コロナ禍の飲み屋街を撮った
『Night Order』シリーズ

Night Order #5 / 新宿センター街 思い出の抜け道

小田駿一:
僕が撮っていたのは人物写真だったので、最初の緊急事態宣言が出たとき、全く仕事がなくなったんです。その時にふと、自分が好きな飲み屋街を撮ってみようと思い、撮り始めたんです。それが自分の作品集『Night Order』シリーズですね。

レペゼン:
緊急事態宣言下の飲み屋街をなぜ撮ろうと?

小田駿一:
元々飲み屋街が結構好きで。新宿センター街の思い出の抜け道とかにも、数件、顔馴染みの飲み屋があるんです。あの時期って僕たちよりも飲食店の方が大変だったじゃないですか。
で、自分の馴染みの店はアングラだから、お店を開けるだろうと思っていたんですけど、みんな意外としっかりと店を閉めていて。どうしてそうするのか聞いてみたら、「自分のことだけを考えたら、今開けたら確かに利益は出るけど、やっぱり人の命も考えなきゃいけない。」と言っていて。

レペゼン:
すばらしいですね。

小田駿一:
退廃的な場所に見えながらも、実はみんながしっかりと店を閉めていて。その秩序がすごく道徳的で気高く、感動したんですよね。
なので「夜の秩序」、『Night Order』というテーマで写真集を作ろうと思ったんです。

レペゼン:
大手の店だったら閉めるのは当然ですが、アングラの飲み屋街の人たちがみんなしっかりと店を閉めているってすばらしいですよね。実際その時期、小田さん自身もカメラマンとして大変な時期だったとは思うのですが、何か支えてくれたラップソングはありますか?

ZORN「家庭の事情」

小田駿一:
ZORN さんの「家庭の事情」ですかね。

【ZORN –  家庭の事情】

小田駿一:
当時、すごく聴いてて。自分の人間としてのダサさを実感したんです。ZORNさんのご家庭についての曲なのですが、

俺も反省 親も反省

壊れた家庭 一緒に再生

今ならどんな過去も愛せる

復縁した二人 孫を抱いてる

枯れるくらいに泣かせてごめん

そこら中 頭下げさせてごめん

というような形でお母さんに対しての感謝を綴っておられて。
ZORN さんも大変な生い立ちだったと思いますが、リリックの中でお母さんに感謝しているってことに食らいましたね。自分はまだまだだなっと思ったと同時に、また頑張ろうという気持ちにさせてくれた曲ですね。

プロフィール

  • 小田駿一(おだ・しゅんいち)

    小田駿一(おだ・しゅんいち)

    2012 年に渡英し独学で写真を学ぶ。 2017 年独立。2019 年に symphonic 所属。人物を中心に、雑誌・広告と幅広く撮影。ヒップホップにフォーカスしたマルチモーダル・プロジェクト「BLUEPRINT™」のファウンダー。

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