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ヒップホップ好きのスポーツ選手や文化人のキャリアについてインタビューしていく「あの人も実はヒップホップ」。今月は神奈川県逗子市を拠点に、“心の声をラップにする”「COCORO RAP CONTEST」を主催されている「マイクラおかん」こと下崎真世(しもざき・まよ)さんに4回に渡って、お話をお伺いしました。Vol.2の今回は幼少期から学生時代を過ごした地元・大阪のエピソードや、ご自身の子育ての苦労などについて話して頂きました。
前回の記事はこちら→ おかんラッパー、下崎真世 a.k.a.マイクラおかんとは?
大阪生まれ、歌謡曲育ち。
ワルそうな大人は大体親父の友達!?
レペゼン:
ご出身は大阪ということですが、地元はどんな場所だったんですか?
下崎真世:
地元は東大阪です。当時、治安はそんなによくありませんでした笑
いわゆるコテコテのギャングの方が多い町でしたね。
レペゼン:
なるほど笑
下崎真世:
自分の父がバーやスナックを経営していたこともあって、そういった方と接する機会も比較的多かったです。いわゆるプロの方の出入りが多かったし、父自身も言ってしまえばそういった見た目でした。漫画の『ナニワ金融道』みたいな世界です。
レペゼン:
幼少期はそういったバーなどのお手伝いをされることもあったんですか?
下崎真世:
手伝いはしてなかったんですが、父に連れて行かれたスナックのカラオケでよく歌わされたりはしてましたね。子供だったので、それがすごい嫌で。デュエットさせられたり。でもDVの父親だったので、自分の意見も怖くて言えなかったですね。言われたままやってきてたし。だからこそ、今、子どもたちがラップでありのままの自分を表現してるのはすごいなと思うし、その「言いたい」という気持ちを応援したくなるんだと思います。
アウトレイジな世界で学んだ
『男と女のラブゲーム』
レペゼン:
小さい頃に洋楽に触れるような機会はあったんですか?例えばファンクやソウル的なものとか。
下崎真世:
んー、いや特には笑
子どもの頃、バーで歌わされると言ってもデュエットしやすいような歌謡曲が多かったですしね。日野美歌と葵司朗の『男と女のラブゲーム』とか笑
【 日野美歌&葵司朗『男と女のラブゲーム』 】
レペゼン:
ある意味、ジャパニーズ・ソウルです!
下崎真世:
そうかも笑
正直自分から音楽を聴く余裕はなかったです。J-POPも当時流行ってるものはかろうじて…くらいですね。米米CLUBとか。とにかく『男と女のラブゲーム』を父とよく歌っていたのは覚えてます笑
バレエ、ピアノ、茶道、華道…
習い事ずくめの幼少期
【幼少期の下崎さん】
レペゼン:
ちなみに当時、習い事などはされていたんですか?
下崎真世:
7個くらいしてました。バレエ、ピアノ、水泳、公文、剣道、茶道、華道。
レペゼン:
すごい!友達とも遊べなかったんじゃないですか?
下崎真世:
そうですね…。
幼稚園から大学までずっと私立で、小学校から電車に乗って別の地域の学校に通っていたので、地元の友達もいなかったです。
レペゼン:
家庭環境について少し立ち入った質問になりますが、お母様はいらっしゃったのでしょうか?
下崎真世:
はい、母もいました。ただ父が母に暴力を振るっていたので、自分が“かすがい”としての役割にならないといけないと思って、できるだけ良い子になろうと頑張っていましたね。勉強で良い成績を取ったら親は喜ぶし、関係も落ち着くんじゃないかなと思って。
レペゼン:
子供にとってはなかなかストレスが溜まる環境ですよね…
そんな環境の中で大学まで行かれたということですが、大学卒業後はどんな進路に?
下崎真世:
当時は「良い学校に行って良い会社に入るのがまっとうな子」という価値観が強かったので、そのルートにのっとって新卒で保険会社に入りました。その後、今の夫と出会って結婚したんです。
待望の子供。
しかしうまくいかない子育て
レペゼン:
その後はどういった経緯で現在お住まいの逗子に移住するまでに至るのですか?
下崎真世:
逗子に行くことになったのは子供の存在がとても大きいです。
まず結婚後、夫も私も子どもは望んでいたのですが、なかなか授からず。不妊治療も受けて、息子を授かるまで10年かかりました。ただ産まれてからもなかなか大変で。当時東京のマンションの8階に住んでたのですが、とにかく高いところに登るのが好きな子で。マンションのベランダの柵によじ登って外に飛び降りようとしたりして…。
レペゼン:
えぇ!めちゃ危ない…。
下崎真世:
そうなんです。電柱とか標識に登ったり。保育園からも脱走して道路を裸足で走ったり。パトカーも3回くらい出動したりと警察にもお世話になりましたね。裸足で走らせてることが虐待だと周りから言われたりすることもあり…。
レペゼン:
大変ですね…
下崎真世:
それで東京は子育てするには窮屈だと感じて、田舎に移ることにして。で、最終的にに辿り着いたのが逗子なんです。逗子であれば、自然も多いのでもちろん裸足で外を走り回ったりできる場所もたくさんあるし。それで週末キャンプに行ったり、とにかくアウトドアな子育てに振り切ってみたんですね。
レペゼン:
おぉ。お子さんにも合いそうですね!
下崎真世:
と思っていたんですけど、どうも息子はそれが嫌だったみたいで。その反動で超インドアになってしまって。私もやり過ぎたみたいで…。そこから次第に引きこもり気味になっていくんです…。
子育てに悩む下崎さん。そんな下崎さんが出会ったのがラップミュージックとヒップホップカルチャー。次回、Vol.3では息子さんの不登校、そしてCOCORO RAP立ち上げの経緯となった「NIKKEI RAP LIVE VOICE」出場について聞いていくよ!
プロフィール
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大阪府出身。神奈川県逗子市在住。 「オカンの日替りキッチン」運営代表。「COCORO RAP CONTEST」主宰。ラッパー、イベント企画、講演活動なども行うマルチ・ヒップホップ・アクティヴィスト。 大学卒業後、保険会社やアンティークの買い付けの仕事などを経て、逗子へ。地域の“オカン”たちによる手作り料理の販売・配達を行う「オカンの日替りキッチン」を立ち上げ、特に子育て世帯や産前産後の家庭支援を中心に、コミュニティの食と心を支える活動を展開中。2023年、日経新聞主催の「NIKKEI RAP LIVE VOICE」に出場し、ラップ未経験ながら“呂布カルマ賞”を受賞。その後、社会の声なき声を代弁する場を自ら作るべく、「心の声をラップにする」ラップコンテスト「COCORO RAP CONTEST」を主宰。初回から7歳〜80歳、国内外から100件を超える応募を集めるなど、幅広い世代から支持を受ける。 「誰でも主役になれる」「下手でも伝わる」というヒップホップの本質を軸に、言葉を使った自己表現の可能性を広げる活動を続けている。