ヒップホップ好きのスポーツ選手や文化人のキャリアや仕事について全4回に渡ってインタビューしていく「あの人も実はヒップホップ」。今月のゲストは宮城県名取市でジャズ喫茶「PABLO」を経営されている村上辰大(むらかみ・たつひろ)さん。“ DJ辰 ”名義でヒップホップイベントやダンスバトルなどでもDJをされている村上さんのヒップホップキャリアについてお伺いしました。Vol.2はヒップホップカルチャーに出会ったきっかけやDJを始めた経緯などについて。
前回の記事はこちら→ 宮城県名取市のジャズ喫茶「PABLO」二代目マスター、村上辰大 a.k.a. DJ辰とは?
老舗ジャズ喫茶の二代目マスターは実はヒップホップDJ!?
レペゼン:
ヒップホップやダンスバトルのDJとしても活動されている村上さんですが、元々ダンスはされていたんですか?
PABLO 村上辰大:
そうですね。ストリートダンスのジャンルの一つ、ロックダンスをやってました。
元々ダンスに興味を持ったきっかけは高校生の頃に「めちゃイケ」というテレビ番組で。ナインティナインの岡村さんとガレッジセールのゴリさんのブレイクダンスを見たことですね。
レペゼン:
やっぱり当時「めちゃイケ」の影響は大きかったですよね。
PABLO 村上辰大:
かなり大きかったと思いますね。最初はダンスだけやっていたんですが、次第に音楽やDJにも興味がでてきてって形ですね。その後大学に進学したのですが、進学した大学はダンスサークルがなくて。それで、自分でサークルを作ろうと思い、立ち上げたんです。
レペゼン:
なるほど。
DJはどういった経緯で始めたんですか?
PABLO 村上辰大:
元々DJを始める前にダンスチームのショーケース用の曲編集をよくやっていたんです。ダンスのショーケースって基本的に複数の曲をつなげて数分のショーを作るのですが、私が大学生当時は曲の編集って誰もができるものではなくて。
レペゼン:
確かに。
専用のソフトを扱える人に、曲編を頼むことが多かった時代ですよね。
PABLO 村上辰大:
そうそう。ACID というソフトを使って音楽を編集したりしてたのですが、そしたら自然と周りのダンサーから曲の編集を依頼されることが増えていって。
結構忙しくて、年間で50曲以上は作っていたと思います。
レペゼン:
すごい!!
PABLO 村上辰大:
友達や先輩から「曲を作ってほしい」と頼まれて、気軽に引き受けていました。
ビールを持ってきて「頼むよ」と言われることもありましたね笑
それでヒップホップはもちろんですが、色々なジャンルの音楽を聴くようになって。で、音楽にどっぷり浸かっていき、先輩が背中を押してくれたこともあり DJ をすることを決めました。それで次第にダンスバトルでもDJをするようになった感じですね。
初めて衝撃を受けたヒップホップソングはあの90sクラシック
レペゼン:
曲編集などを担当する中で、ヒップホップの楽曲も好きになっていったということですが、当時特に衝撃を受けた曲はありますか?
PABLO 村上辰大:
やっぱり「Souls Of Mischief – 93 ‘Til Infinity」ですね。
「こんなカッコイイ曲があるのか!」と。
【 Souls Of Mischief – 93 ‘Til Infinity 】
レペゼン:
間違いないクラシックですね。
PABLO 村上辰大:
特に覚えているのは世界的なブレイクダンスの大会である、Freestyle Session のビデオを見ていた時のことで。決勝で「93 ‘Til Infinity」流れてたんです。その時の映像で、会場がブチ上がっていて。
「これはB-Boyアンセムなんだ!」と思ったことをよく覚えてます。
自分がかっこいいと思っていた曲を、海外の人々がバトルで盛り上がっていたのを見てなんか共感できた感じもして。すごい曲なんだなというのを改めて思ったのを覚えてますね。
レペゼン:
良いですね!
PABLO 村上辰大:
あと「Souls Of Mischief – 93 ‘Til Infinity」の元ネタって、Billy Cobham(ビリー・コブハム)ってジャズ・ドラマーの「Heather」っていう曲なんです。普通は 33 回転で聴くところを 45 回転にして サンプリングしていることろもヒップホップらしくて粋ですね。
【 Billy Cobham – Heather 】
レペゼン:
おぉ!!そこもジャズなんですね!!
PABLO 村上辰大:
そうなんです。今思うと自分が衝撃を受けたヒップホップがジャズサンプリングで、今自分がジャズ喫茶のマスターをしてるってなんか全部繋がってるなって思いますね。
会社を立ち上げた初年度に起きた東日本大震災
レペゼン:
大学卒業後はどういった進路に?
PABLO 村上辰大:
卒業後、最初は3年間サラリーマンをしていました。企業で働きながら、週末にDJ活動をしていましたね。ただ週末に東京でDJして、イベントが終わった後、夜中に車で仙台に帰って寝ずに仕事っていう生活をしていたので過労で倒れてしまって。
レペゼン:
それはそうなりますね…
PABLO 村上辰大:
DJ をやりながらサラリーマンをやるのは厳しいと痛感していたところ、 そのタイミングでダンスの映像を作ってくれていた相方も独立することになり、 一緒に「UGcrapht」という映像制作会社を立ち上げることになりました。
レペゼン:
なるほど。元々映像制作のご経験はあったのですか?
PABLO 村上辰大:
映像自体は独学で学びました。
私が大学生の頃はまだ You Tube がないので、 私が代表を務めたダンスイベントを撮影し、DVDを作って、販売していた時期があって。学生時代にやっていたことが 今の会社の前身といっても過言ではありません。
レペゼン:
すごいですね!
立ち上げた会社ではすぐに仕事をもらえたんですか?
PABLO 村上辰大:
それが、実は会社を立ち上げてから間もなく震災が起きてしまったんです。起業1年目のことです。なので仕事どころではなくなってしまったんです…。
起業した初年度に東日本大震災に見舞われた村上さん。一体、どうなるのか?
次回Vol.3ではその後の村上さん、そしてPABLOとの出会いなどについてお伺いしていくよ。
プロフィール
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宮城県名取市のジャズ喫茶「PABLO」の二代目マスター。平日は株式会社ユジクラフトの映像クリエーターとして活動し、週末はDJ辰としてDJ活動を行う。海外および国内のダンスイベントでDJを務める、「音楽×映像」のハイブリッドクリエーター。 「COFFEE & SESSION PABLO」は、震災で主を失ったジャズ喫茶「Jazz in パブロ」を現在の店主、村上さんと半澤 さんが2017年12月に引き継ぎ、新たに誕生したジャズ喫茶。震災当時のまま時間が止まった店内に再び灯をともす場所として再生された。壁一面に配置されたスピーカーからはJazz、Jazzy Hip Hopなど多彩な音楽が流れ、コーヒーカップの黒い水面を揺らしている。古くからの常連客と新たな若い世代が集い、音と人とのセッションが生まれる空間となっている。