親の反対を押し切り、靴職人の道へ。待ち受けていた貧乏生活と転機となったライムスター・宇多丸さんとの出会い

いつだって乗り越える力をくれたのはヒップホップ

ライター:TARO

ヒップホップ好きのスポーツ選手や文化人のキャリアについてインタビューしていく「あの人も実はヒップホップ」。今月は日本を代表する靴職人の一人であり、スパイク・リーやエイドリアン・ブロディなどへの製作実績を持つ、靴職人&アーティスト・三澤則行(みさわ・のりゆき)さんに全4回に渡って、お話をお伺いしました。

前回までの記事はこちら→ 世界で活躍する靴職人、三澤則行のヒップホップなキャリアとは?

大学を首席で卒業。親の反対を押し切り、靴職人の道へ


【三澤さんの作品】

レペゼン:
元々DJを目指していて、いつ頃、靴職人になろうと思ったんですか?

三澤則行:
大学3年生の後半ですね。当時、地元の仙台に仲の良い靴屋さんがいて。その方に人生相談をしている時に「三澤くんは何が得意なの?」って聞かれて。「もの作りです」と答えたら、「靴も作れるよ」と教えてくれたんです。

レペゼン:
そこで初めて靴作りという仕事を知るんですね。

三澤則行:
元々靴は大好きだったんですけど、それまで自分で作るという概念がなかったので、すごく魅力を感じました。
それで靴作りの中心地である浅草に行って、修行をしようと。

レペゼン:
靴職人になることについて、親御さんはどんな反応だったんですか?

三澤則行:
めちゃくちゃ反対されました。親は普通のサラリーマンだったので、靴職人なんて100%反対みたいな状態でしたね。

レペゼン:
やっぱりそうなりますよね…

三澤則行:
なので説得するために、大学を首席で卒業すると言ったんです。首席だと授業料免除になるので、そのお金を引っさげて浅草でチャレンジするのであればOKだよね?みたいな感じで。で、実際に首席になりましたね。

レペゼン:
有言実行レベルがすごすぎる。

三澤則行:
それで親も僕の本気度を認めてくれて。そこで自分の貯金したお金を持って仙台から上京したんです。

待ち受けていた貧乏生活と同級生からの冷たい視線

【浅草修行時代の三澤さん】

レペゼン:
まずは浅草の工房に弟子入りするという感じでしょうか?

三澤則行:
最初は工房の方がやってる教室で見習いとして教えてもらって、生徒の立場で2年間学び終わった後、親方のもとで職人として働かせてもらいました。

レペゼン:
給料は一応あるんですか?

三澤則行:
ありましたが、決して高くはなかったですね。なので、友人や知り合いに靴を作りまくって必死にお金を稼いでました。当時はとにかく貧乏だったことがつらくて。

レペゼン:
なるほど。

三澤則行:
よく有名になった方々が、昔の貧乏話をするじゃないですか。そういうのに憧れもあったので、最初は自分を奮い立たせて頑張ってたんですけど、それもやっぱり2〜3年が限界で。

レペゼン:
辞めようと思ったことも?

三澤則行:
毎日思ってました。大卒後、5〜6年経つと、同級生の中にも家族ができたり、車を買ったりする人もでてきて。周りと比較する度にいい加減まずいのかなと思ってました。

レペゼン:
どうしても比較しちゃいますよね…。

三澤則行:
大学の同級生から「いい歳して何やってんの、三澤」みたいなことを直接言われたこともありますし、陰口も結構言われてました。正直その時期はかなりきつかったです。

レペゼン:
それはきつい…。

三澤則行:
ただ靴作り以外のスキルも身に着けてなかったので、もう引き返せないだろうなと思ってやってましたね。

上京後の自分を鼓舞してくれた「ココ東京」

レペゼン:
そんな下積み時代に勇気をくれたラップソングはありますか?

三澤則行:
Aquariusの「ココ東京 ft. S-WORD,BIG-O,DABO」です。

レペゼン:
どういうところが励まされたんですか?

三澤則行:
僕が東京に出てきたのが2003年なんですけど、ちょうどその年にリリースされた曲で。
そこもすごくタイムリーだったのと、あとすごく元気な曲なんですよね。
「ココ東京!」ってラップしてくんですけど、それでモチベーションが上がるというか。

レペゼン:
東京来たぜと。

三澤則行:
東京来たぞ、やってやるみたいな感じで、カラオケでもよく歌ってましたね。当時の僕の気持ちにドンズバで響いた曲です。

ライムスター・宇多丸さんとの出会い

レペゼン:
つらい下積み生活が変わるきっかけはなんだったんでしょうか?

三澤則行:
28歳の時に、RHYMESTER(ライムスター)の宇多丸さんに出会ったことですね。
当時、宇多丸さんのラジオで取り上げてもらったぐらい大きく関わってくれたことで、自分の世界が広がったんです。

レペゼン:
えー!すごい!
どういった経緯で宇多丸さんと出会ったんですか?

三澤則行:
元々人付き合いが大事だと思っていたので、靴の仕事で知り合った人たちを集めて、よく飲み会をしてたんです。その流れでカラオケに行ったら、自分はライムスターを歌うんですけど。

レペゼン:
最初にヒップホップを好きになったきっかけですもんね。

三澤則行:
そうなんです。そしたらその中の一人が「ライムスター好きなんですか?」と話かけてくださって。なんとその方、ライムスターの初期メンバーだったんです。

レペゼン:
えー! 

三澤則行:
結成当初にマスター・ティーという名前でいらっしゃった方で。

レペゼン:
すごい出会い!

三澤則行:
それで「宇多丸さんにめちゃくちゃ会いたいです!」みたいなことを言ってたら、実際に繋げて頂いて。靴を制作させて頂けることになったんです。

レペゼン:
すごすぎる!

三澤則行:
その時、自分は修行時代のぺーぺーだったにも関わらず、結構お金を払ってくれて。しかも「5年後の巨匠」っていうタイトルでブログにも書いてくれたんですよ。

宇多丸さんのブログ「5年後の巨匠」

レペゼン:
めちゃくちゃ嬉しいですね!!

三澤則行:
宇多丸さんも「これ相当プレッシャー与えたからね」って笑
当時、宇多丸さんもいろんな人を世に送り出すじゃないですけど、この人すごいって言ったら、その人がブレイクするみたいな、そういう立ち位置にもあったんで。なんかもう外せないなみたいな感じですごいテンション上がって、5年後に形になるように頑張ろうって思いましたね。

レペゼン:
最高ですね。

三澤則行:
その時はちょうど独立を考えていた時期だったので、特に力になりました。
そこから自分のオリジナリティを追求するために海外に修行に行くことにしたんです。

厳しい修行時代を乗り越え、ステップアップのきっかけを掴んだ三澤さん。次回は海外への挑戦についてインタビューしていくよ!

プロフィール

  • 三澤則行(みさわ・のりゆき)

    三澤則行(みさわ・のりゆき)

    1980年生まれ、宮城県出身。幼い頃から母親の趣味である美術画集に囲まれて育ち、工作や絵画に没頭した少年時代を送る。大学時代はヒップホップ音楽に没頭し、プロのDJを目指した。この頃に培ったヒップホップ・マインドは現在の活動、作品製作にも大きく影響している。大学3年生のとき、地元のとある革靴店との偶然の出会いから靴づくりの道に。靴職人として東京・浅草とオーストリア・ウィーンで10年間修業した後、2011年に自分の工房兼靴教室を東京・荒川に構える。2017年にはフランス・カンヌ映画祭で展示会を開催。日本とヨーロッパで培われたアートの感性、そして精緻な技術によって生み出される造形美はまさに唯一無二であり、スパイク・リーやエイドリアン・ブロディなど世界的なセレブリティへの制作実績を持つ。 近年はアメリカで開催される国際的な靴のコンクール「GLOBAL FOOTWEAR AWARDS」で2年連続で受賞するなど、今世界で最も注目される靴職人の一人。

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