ヒップホップ好きのスポーツ選手や文化人のキャリアや仕事について全4回に渡ってインタビューしていく「あの人も実はヒップホップ」。今月のゲストは福岡県朝倉市の食堂、「金屋食堂」の店主にして、ヒップホップ愛する生粋のヘッズ、矢野恭平(やの・きょうへい)さん。Vol.3は京都や大阪での修行時代についてお伺いしました。
前回の記事はこちら→山、川、イノシシ、そしてヒップホップ―福岡朝倉で愛され続ける「金屋食堂」三代目の原点とは?
“追い回し”から始まった料理人の道。
矢野恭平の関西修行物語
レペゼン:
専門学校を自主退学、その後福岡の料亭で厳しい修行をされていたということですが、その後はどういった道を歩まれたのですか?
矢野恭平:
その後、京都の祇園にあった料亭で働かせてもらったのですが、とにかくきつくて。
福岡の10倍キツかったです笑
4ヶ月で逃げました笑
レペゼン:
相当きつかったんですね…。何がそんなにきつかったんですか?
矢野恭平:
まず京料理のやり方が独特で。和食ともまた違うんですよ。
それで一から全部覚えないといけなくて。で、一番下の「追い回し」っていう立場になって、コーヒー入れたり、新聞取ってきたり、掃除したり。要はパシリです笑
レペゼン:
その「追い回し」っていう呼び方が面白い笑
矢野恭平:
ちゃんとそういう役割があるんですよ笑
要はパシリなんですけど笑
レペゼン:
きついですね笑
祇園の料亭を辞めてからはどうしたんですか?
矢野恭平:
そのあと大阪の料亭で働きました。
レペゼン:
そこはどんな感じだったんですか?
矢野恭平:
またキツかったですね笑
大阪は特に暴力的なキツさがすごかったです笑
鍋もまな板も飛んでくる!?
鬼の大阪修行時代
レペゼン:
笑
どんな感じだったんですか?
矢野恭平:
鍋が飛んできたり、まな板が飛んできたりは日常茶飯事でした。
レペゼン:
ええっ!?
それ当たりどころ悪かったら大怪我ですよね!?
矢野恭平:
でも背中に当たるように投げてくるんですよね。
みなさん、当たりどころをちゃんと意識して投げてるんですよ笑
レペゼン:
プロの“当て方”があるんですね笑
矢野恭平:
そう笑
で、当たらなかったらまた怒られる…みたいな。
だから避けるわけにもいかないんですよ笑
レペゼン:
怖すぎる笑
その大阪のお店はどのくらい働かれたんですか?
矢野恭平:
3ヶ月くらいで辞めましたね。
レペゼン:
じゃあ関西ではかなり苦労されたんですね。
矢野恭平:
そうですね…正直、関西ちょっと苦手です笑
レペゼン:
笑
嫌な思い出ばっかり笑
矢野恭平:
笑
でも今自分が使ってる包丁を作ってくれてる職人さんたちはみんな関西の方ですね。
道具関係、包丁、鍛冶屋さん、研師さんも全部大阪ですね。
【大阪・堺の「中川打刃物」さんと】
レペゼン:
良いですね!笑
やはり大阪の気合いの入ったモノづくりが良いと。
矢野恭平:
そうですね笑
修行時代は大変でしたが、なんだかんだ関西のみなさんにはお世話になっております。
ヒップホップに支えられた修行時代
レペゼン:
タフな修行時代にヒップホップは聴いてました?
矢野恭平:
聴いてましたよ。日本だけでなく、USのラッパーも聴いてましたね。
歌詞はわからなかったけど、かっこいいなっていう感覚で。
特にJay-Z(ジェイ・Z)かな。Linkin Park(リンキン・パーク)とやってたアルバムとかよく聴いてましたね。
レペゼン:
良いですね。
あのあたりの楽曲は音的にもかなりエネルギッシュで、パワーもらえますよね。
特に思い出に残ってる曲はありますか?
矢野恭平:
たくさんありますが、やっぱりJAY-Z「Empire State of Mind」ですかね。
レペゼン:
ニューヨークで夢を追う人へといったニュアンスもある楽曲ですし、パワーをもらえますよね。
矢野恭平:
当時は本当によく聴いてましたね。日本のラッパーさんだと、AK-69さんもその頃に知ったんですよ。その前からTOKONA-Xさんも聴いてて。その頃は特にUS、そして名古屋のヒップホップに力をもらってましたね。