日本のストリートから世界のトップシェフへ。B-Boy料理人、河野睦の原点とは?

厳しい修行時代を乗り越えられた理由やヒップホップ史上最重要クルー「Rock Steady Crew」加入のエピソードも!

ライター:TARO

ヒップホップ好きのスポーツ選手や文化人のキャリアや仕事について全4回に渡ってインタビューしていく「あの人も実はヒップホップ」。今月のゲストはニューヨークで焼き鳥店「KONO」を営む河野睦(こうの・あつし)さん。ニューヨークのTOP5シェフに選ばれる凄腕の料理人でありながら、ブレイクダンサーとしても日本最大の大会「B-Boy Park」で優勝、またニューヨークを拠点する伝説的ダンスクルー「Rock Steady Crew」に所属するなどトップB-Boyとしてのキャリアを歩んできた河野さんのヒップホップ・ライフスタイルについてお伺いしました。Vol.2の今回は割烹料理店での厳しい修行時代、そして「Rock Steady Crew」加入の経緯について語って頂きました。

前回の記事はこちら→ ニューヨークで生きるB-Boy料理人、河野睦のヒップホップ・キャリアとは?

B-Boy料理人、河野睦の原点とは?

レペゼン:
現在はニューヨークで焼き鳥店「KONO」をオープンされている河野さんですが、元々若い頃から料理の世界に興味があったんですか?

河野睦:
父が板前さんで。実家が魚屋と魚料理店をやってたんです。
だから子供の頃からオレは料理人になるんだろうなみたいな気持ちはありました。

レペゼン:
そうなんですね!
実家を継げとかはお父様から言われていたんですか?

河野睦:
よく親父から言われてましたね。
かたやそうなりたくないな、継ぎたくないな、自分の道へ行きたいなとも思ってました。

レペゼン:
お父様からダンスについて言われたりは?

河野睦:
結構親父は厳しくて、ダンスでプロになんてなれないってよく言ってましたね。
それが子供心に凄いムッときて。反抗心というか。絶対認めさせたいなと。料理もやって、ダンスもやって親父をギャフンと言わせるんだって気持ちはずっと持ってましたね。

レペゼン:
ブレイクダンスの方では埼玉のクルー、SIVAで活動されていたわけですが、料理の世界ではどういう風にキャリアを積まれていったんですか?

料理は身体で覚えろ!鬼の修行時代

河野睦:
まず高校を卒業してから、専門学校に2年行きました。卒業後は赤坂見附にあったカウンター割烹で働かせてもらえることになって。朝は8時半から夜は23時半まで。早朝から昼のランチの仕込みをし、ランチが終わったら夜の仕込みをしてっていう生活を20歳から24歳までやってました。ニューヨークに来る前までですね。

レペゼン:
割烹というと職人の世界のイメージがあるのですが、やっぱり厳しいというか、めちゃめちゃ怒られたりとかあったんですか?

河野睦:
やっぱり修行は厳しかったですね。。。ホントお坊さんの世界というか。プロフェッショナルになるための準備をしていくわけですけど、まず技術が全然ないので、何か切り物をするのも簡単に切れないし。そもそも包丁を使わせてもらうまでに1年ぐらいかかりました。最初の1年はずっと包丁を研いでましたね。

レペゼン:
すごい。。。本当にザ・職人の世界ですね。

河野睦:
そうですね。で、包丁を使わせてもらうようになったら次はひたすら芋を剥くとか。そういう雑用を最初の2年ぐらいはずっとやってました。心境的にはなんでこんなことをオレがやらないといけないんだって気持ちもあり。ただずっとやっていくと少しずつ作業も早くなるんですよね。そういうところに面白さを感じて、自然と続けられたんですけど、最初の2年は料理ができなくて、しんどい思いもしました。

レペゼン:
つらいですね。。。
では3年目からは、親方から料理を教えてもらえたんですか?

河野睦:
それが全然教えてくれないんですよ。見て覚える世界で。
親方が料理してる様子を見て、醤油がどれぐらい、塩がどれくらいかっていうのを、体の動きで覚えるという。

レペゼン:

ほんとにドラマみたいな世界ですね。

河野睦:
そうですね笑
今じゃ古臭いですけど、そういう世界で。そんな中で時間を過ごしながら一つ一つ仕事を覚えていって。いろんなことができるようになって。不思議ですね。気づいたらできるようになってたんです。とにかく当時は毎日必死で乗り越えていた日々でしたね。

レペゼン:
でも辞めようとは思わなかった?

河野睦:
いや毎日思ってました。

レペゼン:

河野睦:
つらすぎて笑
前の日にクラブ行ってて、朝、寝坊してどうしようみたいな。もうこの時間親方働いてるしと。
それを考えるだけでその後どうしていいか分からなくなって。

レペゼン:
ですよね。
行ったら、めちゃくちゃ怒られるわけですもんね。

河野睦:
めっちゃ怒られる時もあるし、1日シカトとか。
そういう日は仕事も回ってこないので、ひたすら掃除です。

レペゼン:
つらい。。。

河野睦:
で、夜の9時ぐらいに親方が酔っ払い始めて、初めて話してくれるみたいな。
それまでは生きた心地がしないです。

レペゼン:
そんなしんどい状況にどうして耐えられたんですか?

河野睦:
それは全部ニューヨークに行くためなんですよ。これを乗り越えればニューヨークに行けると。手に職があれば最低限ビザを取れるし、給料は少し稼げる。とりあえず死ななきゃいいやって考えていて。絶対ニューヨークに行くという気持ちがあったので、厳しい修行も乗り越えられたんだと思います。

ヒップホップ史上最重要クルー「Rock Steady Crew」への加入

レペゼン:
修業時代もブレイクダンスは続けてたっていうことなんですよね?

河野睦:
そうですね。自分のチーム「SIVA」でもバトルに出てましたし、店が休みだった日曜はダンスのクラスも持ってました。あと平日はよくHARLEMやasiaに踊りに行ってましたね。クラブから直で築地に買い出しに行ってました笑

レペゼン:
タフ過ぎます笑
そんな中で、ニューヨークを拠点にする伝説的ダンスクルー「Rock Steady Crew」に加入されることになると思うのですが、これはどういった経緯だったのでしょうか?

河野睦:
自分のチーム、「SIVA」で2on2のバトルに出たんです。それが日本で行われたRock Steady Crew主催のバトルで。当時僕たちはまったく名が知られてなかったのですが、運よく準決勝くらいまで行けて。

レペゼン:
すごいですね。

河野睦:
その時、ジャッジでRock Steady CrewのCrazy Legs(クレイジー・レッグス)とMr Wiggles(ミスター・ウィグルス)、MASAMIさんなどがいらっしゃって。結果的に準決勝で負けてしまったんですけど、バトル後にレッグスとウィグルスが「Rock Steady Crewに入れ。お前のスタイルだったら絶対いけるから一緒にやろう」と言ってくれたんです。

レペゼン:
ヤバすぎる。。。
マジですごいです。

河野睦:
そこはB-Boyの人生的に分岐点というか。自分としてもすごい憧れのクルーで、夢みたいな話だったし、すぐにでも入りたいという気持ちはあったんですが、自分のSIVAっていうクルーがあったから、SIVAのみんなを置いてRock Steady Crewに入るのは漢としてよくねぇなと。それで一回保留にしたんです。

レペゼン:
かっこいい…!
男前すぎます!

河野睦:
「SIVA」って絆が固いんすよ。裏切ったら地元に帰れないぐらいの。
そういう付き合いだったんで、やっぱりちゃんとSIVAとしても結果を出して、それからRock Steady Crewに入ろうと思ったんです。

レペゼン:
素晴らしいです。

河野睦:
それでTICっていうメンバーと自分がSIVAをレペゼンしてB-Boy Parkのバトルに出場して、優勝するんですね。そこでSIVAで大きな結果を残すという目標を達成したので、SIVAを後輩に引き継いで、Rock Steady Crewに入ったんです。

【SIVAのメンバーと】

レペゼン:
そういう流れだったんですね。。。
かっこよすぎます!

B-Boyパーク優勝クルー、「SIVA」の戦いのテーマはウータン・クラン

レペゼン:
料理人として、そしてB-Boyとして忙しい日々を送っていた河野さんですが、そんな時代に元気をくれたヒップホップソングはありますか?

河野睦:
SIVAのテーマ曲でもあるんですけど、Wu-Tang Clan「Wu-Tang Clan Ain’t Nuthing Ta Fuck Wit」です。

Wu-Tang Clan「Wu-Tang Clan Ain’t Nuthing Ta Fuck Wit」

レペゼン:
ぶち上がる曲ですね。
なぜこの曲なんでしょうか?

河野睦:
自分の中ですごく勢いがつくというか。 “Wu-Tang Clan Ain’t Nuthing Ta Fuck Wit”のフレーズをわけもわからず叫んでた時代があって。この曲を聴くと自分が無敵になれる気がする。ウォリアーの精神をもらえるというか。本当に何万回も聴いてますね。バトルに行く前とか仲間と叫んでたなっていう思い出があります。

レペゼン:
仕事へ行きたくない朝とかもこれを聴いたりとか?

河野睦:
いや、仕事行く前は音楽を聴く余裕なかったです笑

レペゼン:

河野睦:
でもいわゆるバトルの前とか、ここっていう時に聴いてモチベーションを上げてましたし、今も勇気をくれる曲ですね。

厳しい修行に耐え、料理人として確かな技術を身につける一方、ブレイクダンスでもRock Steady Crewに加入、料理人、B-Boyとして着実にキャリアを積んでいった河野さん。次回はいよいよニューヨーク編。ニューヨークへの移住、慣れない土地での苦労や、移住当初に元気をもらっていたラップソングについて聞いていくよ!お楽しみに!

プロフィール

  • 河野睦(こうの・あつし)

    河野睦(こうの・あつし)

    料理人。板前の息子として生まれ、専門学校を経て、和食の世界へ。東京・赤坂の割烹で約4年間修行後、渡米。ニューヨークの焼き鳥屋でチーフ・シェフとして勤務した後に、独立、チャイナタウンで焼き鳥店「KONO」をオープンする。また10代からブレイクダンサーとしても活動しており、地元埼玉のクルー「SIVA」ではB-Boy Park優勝、ヒップホップ史上最重要ダンスクルー「Rock Steady Crew」に所属するなど、B-Boyとしても世界トップクラスで戦ってきたダンサー。 今年、食のオスカーと呼ばれ、全米で最も権威のある「James Beard Awards」で日本人シェフとしては初めてニューヨークのTOP5シェフに選出される。

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