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ヒップホップ好きのスポーツ選手や文化人のキャリアや仕事について全4回に渡ってインタビューしていく「あの人も実はヒップホップ」。今月のゲストはニューヨークで焼き鳥店「KONO」を営む河野睦(こうの・あつし)さん。ニューヨークのTOP5シェフに選ばれる凄腕の料理人でありながら、ブレイクダンサーとしても日本最大の大会「B-Boy Park」で優勝、またニューヨークを拠点する伝説的ダンスクルー「Rock Steady Crew」に所属するなどトップB-Boyとしてのキャリアを歩んできた河野さんのヒップホップ・ライフスタイルについてお伺いしました
前回の記事はこちら→ 川崎生まれ、ヒップホップ育ち。お笑い芸人・ひるちゃんのヒップホップ遍歴とは?
ニューヨークのTOP5シェフに選出。B-Boy料理人、河野睦 a.k.a. Atsushi ATS Kono とは?
レペゼン:
自己紹介をお願いします。
河野睦:
料理人でB-Boyの河野睦(こうの・あつし)です。年齢は42歳、埼玉県出身です。2006年からニューヨークで料理人として働いていて、現在はマンハッタンのチャイナタウンで自分の焼き鳥店「KONO」をオープンしています。B-Boyとしては地元 埼玉のクルー「SIVA」で活動してました。現在はニューヨークを拠点にする「Rock Steady Crew」に所属しています。
レペゼン:
ありがとうございます。河野さんは料理人としても全米トップレベル、そしてブレイクダンサー、B-Boyとしても世界トップレベルで活動されており、インタビューさせて頂くのを楽しみにしておりました。 まず先日受賞された「James Beard Awards 2024」について教えて頂きたいのですが。
河野睦:
「James Beard Awards」はアメリカで “ 食のオスカー”と呼ばれる、全米で最も権威のある飲食店のコンテストです。全米の各州で審査があるのですが、今回、自分はニューヨークのTOP5シェフに選んで頂くことができました。
【 James Beard Awards 2024 の授賞式にて】
レペゼン:
それって相当すごいことなんじゃないですか?
しかもアメリカで日本食が選ばれるというのは。
河野睦:
これまでも日本食のシェフで選ばれた方はいるのですが、ニューヨークでTOP5に入るっていうのは日本人として初めてだと思います。ニューヨークはアメリカで最も競争率の激しい場所なので、そこでTOP5に入るのは奇跡的なことで。本当に嬉しいです。
レペゼン:
歴史的な快挙ですよね。本当におめでとうございます。
河野睦:
ありがとうございます。焼き鳥業界にとっても凄い快挙だと感じていて。焼き鳥ってどうしても日本だとストリートフード的な認識が強いと思いますが、今自分はハイエンドな料理として提供していて。その部分で認めてくれたっていうのは大きいなと。
レペゼン:
確かに。焼き鳥のブランド力が凄く上がるというか。
河野睦:
そうなんです。焼き鳥のシェフとしては、誰もそういう位置に立ったことがないと思っていて。焼き鳥業界にとっても何か貢献できるものがあるのかなと思っています。
中学生でハマったヒップホップとブレイクダンス
レペゼン:
現在は料理人として、アメリカのトップレベルで戦っていらっしゃる河野さんですが、B-Boy、ブレイクダンサーとしてのキャリアもお伺いしたいです。元々何歳ぐらいから、どういったきっかけでダンスを始められたのですか?
河野睦:
地元の公園でダンサーが踊っているのを見たのがきっかけですね。元々中学の頃にスケボーをしていたんです。で、地元の公園でスケボーをしていると、ダンサーが集まって踊ったりしていて。当時はZOOが流行ってたので、みんな、ZOOの振り付けを真似して踊ってたんです。それで自分もダンスをやってみようと。
レペゼン:
地元にヒップホップシーンみたいなものがあったんですか?
河野睦:
ヒップホップシーンというか、ダンスシーンかな。東京でダンスをしている先輩たちが地元に帰ってきた時に、公園でちょっと教えてくれるような感じでした。で、先輩たちが東京から持って帰ってきたダンスの一つがブレイクダンスで。
レペゼン:
おぉ!!
河野睦:
いきなり背中で回るとか、フットワークをするとかそういうのを見せつけられて、それがガチンと自分にハマったんですよね。超かっけぇと。それでブレイキンを始めましたね。
レペゼン:
ダンススクールとかはあったんですか?
河野睦:
ダンススクールはなかったんで、『Wild Style』や『Beat Street』、『Breakin’』とかそういうヒップホップ映画のワンシーンをそのままコピーしてました。映画のシーンをそのままやれるぐらい練習しましたね。あとは先輩たちに見せてもらったニューヨークのダンスシーンを撮ったビデオですね。
レペゼン:
当時はもちろんYouTubeとかもない時代ですから、そういったビデオはめちゃくちゃ貴重でしたよね。
河野睦:
そうなんです。ニューヨークの光景やヒップホップシーンの裏側が見れるってのがリアルすぎて。そこで初めてRock Steady Crew を知ったんですね。メンバーが若い頃の、バッキバキの時の映像で。そこにまたガツンとくらって。ビデオを朝から晩までずっと見て勉強して、練習しているような時代がありましたね。
Rock Steady Crew・・・ニューヨークを拠点とし、ヒップホップ草創期の1970年代から活動する伝説的ダンスクルー。Crazy Legs(クレイジー・レッグス)、Mr. Wiggles(ミスター・ウィグルス)などヒップホップ史における最重要ダンサーを要する。
レペゼン:
すげぇ。。
河野睦:
それで絶対将来ニューヨークに住もうと決意したんです。実際に高校時代にも一人でニューヨークに行きましたし、そこからずっとヤンキースの帽子被って、Du-Rag巻いてる少年でしたね。
初めて触れたヒップホップソング
レペゼン:
ダンスやスケボーを始める前からヒップホップは聴いていたんですか?
河野睦:
聴いてましたね。初めて聴いたのは、姉が持ってた洋楽のオムニバスCDに入っていたRun–DMCの「Down With The King」だったと思います。
【Run–DMC「Down With The King ft. Pete Rock & CL Smooth」】
「Down With The King」・・・エアロスミスとコラボした1986年のシングル「Walk This Way」と並ぶRun–DMC最大のヒットソングの一つ。タイトルの「Down With The King」は「キングについてきな」といった意味。80年代にラップシーンでまさにキングと言える存在だったランDMCの存在感を再び世界に知らしめた一曲。
レペゼン:
「キーング!」の曲ですよね。
河野睦:
そうそう。まずビートにめっちゃくらって。それでミュージックビデオを見たら、黒いフードでみんなで頭バウンスしながらラップしてて。「うわー!カッケェ!!」てなりましたね。で、Run–DMCもめっちゃかっこいいけど、CL Smoothのヴァースがカッコ良すぎて。タイトルの「Down With The King」って意味も調べたりしました。
レペゼン:
間違いないですね。
じゃあ最初はそういった音楽からカルチャーに入っていったんですね。
河野睦:
そうですね。
そこからスケボーをしたり、ダンスをしたりって感じです。
2000年代ブレイキンシーンを席巻したクルー、SIVAでのB-Boy Park優勝
レペゼン:
ブレイキンを始めてからは、どういったキャリアを歩まれるんですか?
河野睦:
地元埼玉のクルーで「SIVA」っていう先輩たちのクルーがあって、そこに入るっていう経緯があったんです。SIVAはクルーであると同時に、一人一人がボスだという精神性を大事にしていて。一人一人が自分をレペゼンし、その中で一緒に成り上がっていく。良いものは残し、カッコ悪いものはぶっ壊してカッコよくしていこうという精神性のクルーだったんです。
【 SIVAのメンバーと】
レペゼン:
めっちゃかっこいいですね。
河野睦:
そこにすごく憧れていて。で、地元で名前を売っていくうちに、先輩から認められてSIVAに入ることができたんです。ただ先輩たちがすごいアグレッシブで。僕が加入したあと日本一周に行っちゃって、僕は地元に残されることになって。
レペゼン:
すごい展開。。。
河野睦:
なので、とりあえず僕は「SIVA」の名前を売ろうと思って、毎週末クラブに行って他のB-Boyとバトルしてましたね。当時は特に大会とかもなかったので、とにかくクラブでバトルしてました。
レペゼン:
めっちゃストリートですね。
河野睦:
その後、僕は先輩たちの後を継いで、SIVAのリーダーをさせてもらうことになるのですが、やはりSIVAとして何か名を残したいと思って。それで若いメンバーを集めて、「B-Boy Park」というバトルに出たんです。
*B-Boy Park・・・1997年から2017年まで、毎年夏に代々木公園で行われていた日本最大のヒップホップイベント。
レペゼン:
当時はB-Boyの大会と言えば、B-Boy Parkという印象でした。
河野睦:
そうなんです。そこで結果を出しに行って。
最終的には「SIVA」をレペゼンして、優勝することができた。
レペゼン:
すごいですね。
当時の日本最大のイベントで優勝。
河野睦:
そうなんです。それが自分たちの一番大きな結果ですね。
SIVAは漢気があり、すごく絆が深かったんで、そこで学んだものが今の自分にもすごく活きてますね。
ダンサーとして日本の頂点を極めた河野さん。次回は料理人として働き始めた割烹料理店での厳しい修行時代や、伝説のダンスクルー「Rock Steady Crew」への加入の話を聞いていくよ!お楽しみに!
プロフィール
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料理人。板前の息子として生まれ、専門学校を経て、和食の世界へ。東京・赤坂の割烹で約4年間修行後、渡米。ニューヨークの焼き鳥屋でチーフ・シェフとして勤務した後に、独立、チャイナタウンで焼き鳥店「KONO」をオープンする。また10代からブレイクダンサーとしても活動しており、地元埼玉のクルー「SIVA」ではB-Boy Park優勝、ヒップホップ史上最重要ダンスクルー「Rock Steady Crew」に所属するなど、B-Boyとしても世界トップクラスで戦ってきたダンサー。 今年、食のオスカーと呼ばれ、全米で最も権威のある「James Beard Awards」で、日本人シェフとして初めてニューヨークのTOP5シェフに選出される。