UMB神戸優勝。韻に魅了された元・球児が駆け抜けた関西アングラ・ラップ黎明期

現在は牧師として”リアル”を伝え続ける安食ジョイのヒップホップライフ

ライター:TARO

ヒップホップ好きのスポーツ選手や文化人のキャリアについてインタビューしていく「あの人も実はヒップホップ」。今月は栃木県宇都宮市にある峰町キリスト教会に所属する牧師であり、ラッパーとしてのキャリアも持つ、安食ジョイ(アンジキ・ジョイ)さんに4回に渡ってお話をお伺いしました。Vol.2は学生時代と関西での音楽活動についてお話し頂きました。

前回の記事はこちら→ ヒップホップ愛あふれる店主が守る、福岡の老舗・金屋食堂

「3億でもやらない」
鬼の野球部時代とラップとの出会い


【作新学院のチームメイトと。安食さん上段左から5番目】

レペゼン:
今回は学生時代について教えてください。

安食ジョイ:
栃木県の宇都宮市育ちなんですけど、小・中・高とずっと野球をやってました。高校は作新学院というところで、3年間野球漬けの毎日でしたね。

レペゼン:
作新学院!野球の超強豪校ですよね?めっちゃ厳しかったんじゃないですか?

安食ジョイ:
ですね笑
同級生と今でも話すんですが、「今中学3年生に戻ったとして、高校で野球を3年間をやる代わりに1000万円もらえる」と言われても絶対やらないってみんな言ってます笑
後輩は「3億でも無理」って言ってました笑

レペゼン:

安食ジョイ:
あの時の練習を思い出すだけでもしんどくなるくらいです。でも、あの頃の経験が今の自分の糧になっているという実感はあります。今は短時間で効率よく練習することが勧められている風潮もありますけど、当時はそうではなかった。とにかく量をこなす方針でした。振り返るとその中で「体力の限界の先」に立ったものにしか見えない景色があったと思います。若いときにその体験ができたことは個人的には良かったと思います。人のまだ見ぬ才能が花開く瞬間って、自分で引いた限界の線を超えた先にあるものなんじゃないかと感じてます。まぁといっても戻りたくはないですが笑

レペゼン:
なるほど笑
卒業後はどうされたんですか?

安食ジョイ:
関西の大学に進学しました。父親がそっちの大学出身ってのもありましたし、関西の独特なカルチャーに興味があって。新しい環境で、なにか野球以外で打ち込めるものを見つけたいという気持ちもあって関西に行きました。
そこで大学の1個下に入ってきたのが今梅田サイファーで活躍しているCosaqu(コーサク)だったんです。

レペゼン:
おぉ!!

安食ジョイ:
元々私も小学校高学年の頃からヒップホップが好きで、 友達と一緒に「さんぴんキャンプ」のビデオを観てたりしたんです。それでCosaquと仲良くなって。そしたら彼の方から「ラップを始めようと思ってるんですけど、一緒にイベントやりませんか?」って誘ってくれて。そこからですね、ちゃんとラップを始めたのは。

レペゼン:
めっちゃ良いですね。学生時代に特に衝撃を受けたラップソングってありますか?

ギドラ、ライムスター、ニトロ…
韻に魅せられた男が見た
関西ラップバトル黎明期


【当時の仲間たちと。中央:安食さん】

安食ジョイ:
中学生の時に衝撃を受けた日本語ラップではキングギドラの『未確認飛行物体』、ライムスターの『耳ヲ貸スベキ』あたりですかね。

【キングギドラ – 未確認飛行物体接近中 】

【ライムスター – 耳ヲ貸スベキ 】

安食ジョイ:
あとはNITROの1stアルバム『NITRO MICROPHONE UNDERGROUND』ですね。この3つは本当に衝撃でした。キングギドラはリリックが分かりやすくて、NITROはノリの良さ。あとは日本語で“韻を踏む”っていう制約の中で自分の想いを表現することに惹かれましたね。バトルもやっぱり韻を踏みながら即興で言いたいことを言うっていう部分が魅力的でした。

【NITRO MICROPHONE UNDERGROUND – NITRO MICROPHONE UNDERGROUND】

レペゼン:
間違いないですね。

安食ジョイ:
特に当時は映画『8MILE』が公開された頃で。MCバトルのブームが日本でも起こるんですよね。それが2004〜2005年くらい。自分もそこに魅せられて、どっぷりハマっていきました。

レペゼン:
その当時の関西のフリースタイル・ラップバトル・シーンってどんな感じだったんですか?

安食ジョイ:
今のようにきちんとしたルールがある形ではなく、めちゃくちゃアングラでしたね笑
ルールも曖昧だし、喧嘩スレスレというか。手を出すやつも普通にいたし。ただいろんな意味で、やっぱりシーンの熱量はすごかったと思いますね。

レペゼン:
良いですね。大学ではサークルとかに入っていたんですか?

UMB神戸優勝とABNORMAL BULUM@
安食ジョイのヒップホップライフ


【ABNORMAL BULUM@(アブノーマルブルマ)の仲間たちと。左前方:安食さん】

安食ジョイ:
サークルには入らず外でラップの活動をしていました。卒業してからも2年ぐらいはフリーターをしながら、音源制作したり、バトルに出たりしてました。当時組んでいたのが「ABNORMAL BULUM@(アブノーマルブルマ)」というグループなんです。今もアーティストとして活動しているMONCHI(モンチ)とNAGAN SERVER(ナガン・サーバー)、DJ拓音の3MC +1DJでやってました。名付をつけたのはリーダー(MONCHI)で、とにかくインパクトがあって覚えてもらえるものを考えていたんだと思います。笑

名前はふざけていても、先端なことをやるグループにしようというコンセプトでつけられました。その後活動する中でグループのライブも評価されて関西の色々なライブバトルでも優勝することができました。

ABNORMAL BULUM@ 時代のライブ

ABNORMAL BULUM@ – DEF JAP RAP SONG

レペゼン:
めっちゃかっこいいです。サウンドもエレクトロな感じで。
しかもグループでの活動とは別にUMBにも出場されていたんですよね?
UMBの神戸チャンピオンにも輝くという。

【UMB神戸 優勝時】

安食ジョイ:
そうですね。2007年のUMBの神戸大会ですね。でもその時神戸は準予選だったので、そこで優勝して大阪のベスト16からスタートできるという。その年は全国大会にそのまま繋がるのではなく、大阪のベスト16で負けました。その次の年から神戸が単体で出れるようになったと思います。

レペゼン:
ラップをしていたことに対してご両親は何か言ってきたりはなかったでしょうか?

安食ジョイ:
「なんかやってるな」くらいの認識だったのかなと。割となんでも理解してくれる両親だったので、応援はしてくれていました。でも一応「ABNORMAL BULUM@」というクルー名はちょっと伏せてましたね笑
最後の「@」を発音せず「アブノーマルブルーム……」って誤魔化したり笑

レペゼン:

安食ジョイ:
とにかく当時はラップで飯を食いたいと思っていたので、音源もバトルも両方頑張っていましたね。

プロフィール

  • 安食ジョイ(アンジキ・ジョイ)

    安食ジョイ(アンジキ・ジョイ)

    1983年、栃木県宇都宮市生まれ。高校時代は作新学院硬式野球部に所属。関西学院大学神学部、関西聖書学院(KBI)を卒業後、栃木県・峰町キリスト教会の主任牧師に就任。ラッパーとしては、関西を拠点するラップクルー「ABNORMAL BULUM@」に所属し、UMB2007神戸予選で優勝した経歴も持つ。現在は週末の礼拝やカウンセリングを通じて聖書の言葉を伝える傍ら、ゴスペルラッパーとしても活動している。

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