Interview

2019.10.24 Thu

TAG : 

レペゼンインタビュー:Lafayette社長 金子淳二郎 「待ちに待ったPRIVILEGE NEW YORKオープン」

ストリートで我々ヘッズをうならせ続けるラファイエット。立ち上げやニューヨーク出店にまつわる物語に迫る。

FacebookTwitterLine

夏であろうと冬であろうと人は服を着る。暑くても寒くてもおしゃれをする。さらにストリートに出ると、それは戦いになる。何を、どう着こなしているか。みんなそれで勝負する。

READ ALL

今回スポットライトを当てるのは、あなたも一度は袖を通したことがあるであろうアパレルブランドでセレクトショップでもあるLafayette(ラファイエット)の社長、金子淳二郎(かねこ じゅんじろう)。

我々がストリートで戦う時、その胸元には「Lafayette」の文字がある。そんな一大ブランドを築き上げた男の夢と冒険の物語に迫る。

後編を読む→

自己紹介、趣味について

レペゼン:
まずは自己紹介をお願いします。

金子淳二郎:
Lafayette(ラファイエット)の金子淳二郎です。1979年4月10日生まれのA型で、出身は鎌倉で、今も鎌倉に住んでます。

レペゼン:
身長、体重と足のサイズを教えてください。

金子淳二郎:
身長は173cmで体重は75kgぐらいですね。足のサイズは本当は25cmくらいだけど、27~28cmを履いてます。

レペゼン:
だいぶ大きいサイズ履かれてるんですね。笑

金子淳二郎:
足は小さいけど、体は大きいからバランスの関係でね。笑
昔サッカーやってた時のスパイクは24.5cmでした。

レペゼン:
足めちゃくちゃ小さいですね!
次は、好きな食べ物と嫌いな食べ物を教えてください。

金子淳二郎:
最近、家では奥さんがオーガニック思考で、オーガニックな食事をよく食べて好きになりましたね。嫌いな食べ物はないです。世界中色んなところ行ったけど、嫌いな物はなかったですね。

レペゼン:
特にどこの国の料理が好きとかはありますか?

金子淳二郎:
最近だと、ドミニカンの料理はうまいっすね。

レペゼン:
ドミニカの料理ってどんな感じなんですか?

金子淳二郎:
チキンと豆とライスがプレートで出てくる感じですね。あ、好きな食べ物で言えばマングーになるのかな。

レペゼン:
マングーって何ですか?

金子淳二郎:
ドミニカの朝食ですね。

レペゼン:
へえ~!そういうのって何の影響で好きになったんですか?

金子淳二郎:
Lafayetteニューヨークのスタッフにドミニカンがいて、ドミニカンレストランに行くようになって、それで食べるようになったって感じですね。

レペゼン:
そういう事なんですね!!なるほど~
趣味は何かありますか?

金子淳二郎:
最近ハマったのはキャンプかな。

レペゼン:
良いですね。結構行かれてるんですか?

金子淳二郎:
夏はあんまり行かないけど、秋と冬に数回は行きます。最初は面倒くさいと思ってたけど、やってみると楽しいし、炎をボーッと見てるのも意外と良いなって。

レペゼン:
いいですよねぇ。Lafayetteのメンバーでキャンプやったらすごそうですね。

金子淳二郎:
いやいや、行くとしても家族だけでこじんまりとやるか、友達の家族と2組でみたいな感じですよ。笑

人生グラフ①サッカー少年からバンドマンに

レペゼン:
次は人生グラフで、金子さんご自身の人生を振り返って頂きたいと思います!グラフのご記入をお願いします!

レペゼン:
まず、子供の頃や学生の頃はどんな感じでしたか?

金子淳二郎:
幼稚園ぐらいから高校までずっとサッカーをやってましたね。

レペゼン:
学校の部活でやられていたんですか?

金子淳二郎:
小学校の時は学校でやってたクラブチームみたいなのに入ってました。中高は部活でしたね。小中は真面目にやってたんだけど、高校の時は部員も多いし上手い奴らがたくさんいて、そこから少し狂いましたね。笑

レペゼン:
狂ったんですね。笑
ちなみにLafayette立ち上げメンバーと出会ったのは、高校のサッカー部ですか?

金子淳二郎:
Lafayetteは同級生の小柳と和田と3人で始めたんだけど、和田は5歳ぐらいの時から一緒ですね。

レペゼン:
幼馴染だったんですね!

金子淳二郎:
そうそう。5歳の頃から一緒にサッカーしてましたね。小柳が高校からだから3人が一緒になったのが高校の時ですね。

レペゼン:
じゃあ高校で3人が一緒になって、部活への熱が段々とファッションに変わって行った感じですか?

金子淳二郎:
もう高2ぐらいから部活は真面目にやってない感じでしたね。笑
その当時で言うとバンドブームだったんで、どちらかというとバンドと洋服に興味がありました。

レペゼン:
そうなんですか!!バンドやられてたんですか?

金子淳二郎:
ベースをやってました。

レペゼン:
ベースだったんですね。

金子淳二郎:
高校出た後も趣味として22~23歳ぐらいまではバンドはやってました。たまにライブやったり。本当にお遊び程度ですけど。

レペゼン:
そのバンドに小柳さんや和田さんは関係ないんですか?

金子淳二郎:
小柳はドラムやってましたね。あとは同級生とかがMCとかやってましたね。

レペゼン:
なるほど。

金子淳二郎:
どちらかと言うバンドに興味があったからロックを聞いてたんだけど、ヒップホップの話すると18~19歳ぐらいの時に”ミックスチャーバンド”ってのと出会って。それやってる奴らはライブの前にHouse of Pain(ハウス・オブ・ペイン)とかヒップホップをかけるんですよ。だからヒップホップはそう言うところから聞くようになったって感じですね。

レペゼン:
なるほど!!ロックが先だったのは意外でしたけど、そこでヒップホップに出会うわけですね!

人生グラフ②初めてのニューヨークと商売を始めたきっかけ

金子淳二郎:
あとは、その頃のアルバイト先のみんなも90年代や2000年前半のヒップホップ大好きだったんですよ。

レペゼン:
バイト先はどこだったんですか?

金子淳二郎:
ギャラリースポーツってとこですね。ギャラリースポーツの人たちがすごいファッションが好きで、当時ASAYAN(あさやん)とかでNo.1になっちゃう人とかがバイトしてたんだよ。笑
裏原とかが流行ってた頃ね。

レペゼン:
ASAYAN懐かしいですね~

金子淳二郎:
そのバイト先の先輩と遊ぶようになって、その人の家に遊びに行ったらスニーカーとかレコードが山の様に積まれてて、気づいたらどんどんそっちにのめり込んで行った感じですね。

レペゼン:
おおー!!教え込まれたって感じですね。
それで19歳で初ニューヨークに行くわけですね。行こうと思ったきっかけはなんだったんですか?

金子淳二郎:
同級生4人で、特に特別な想いはなく行ってみただけなんですよね。

レペゼン:
それは単に旅行としてですか?

金子淳二郎:
そうですね。Supreme(シュプリーム)とかFoot Locker(フットロッカー)とか行ったり行ったりとかほぼ買い物だけでしたけどね。

レペゼン:
初ニューヨークはどうでしたか?

金子淳二郎:
それが、人生を全て変えちゃったかなってくらいインパクトありました。本当にターニングポイントですね。

レペゼン:
その頃って99年とか2000年ぐらいの時ですよね?1番カルチャーが変わり始めた良い時期ですよね!
それで、ニューヨークから帰ってきてアパレルでバイトをして、アパレルとか販売みたいなところを学んで行ったんでしょうか?

金子淳二郎:
そうなんですけど、どっちかって言うと、もう高校生の頃から渋谷とかでフリーマーケットで売ってたんですよ。

レペゼン:
そうなんですね。渋谷でですか?

金子淳二郎:
東急文化会館ってのがあって、その文化会館の屋上でやってて、自分でピックアップした物が売れるってのが楽しかったんですよね。

レペゼン:
それで商売好きになって行ったんですね?結構売ってたんですか?

金子淳二郎:
一回で10万、20万とか稼いでましたね。

レペゼン:
結構いきますね!

金子淳二郎:
そうそう。自分で仕入れをして売ったりとかもして、そういう事をずっとやってましたね。

レペゼン:
Lafayetteをオープンする前の原点的なところなのかもしれませんね!

人生グラフ③Lafayette藤沢店オープン

レペゼン:
アパレルのバイトというのはどのお店だったんですか?

金子淳二郎:
DAMAGE DONE(ダメージドーン)って会社で学生でアルバイトをして、大学卒業後も1年だけ社員で働いてました。

レペゼン:
なるほど。卒業後一度は社員になってるんですね!

金子淳二郎:
そうなんですよ。今原宿にあるRAWDRIP(ロウドリップ、DAMAGE DONEの別業態)の時も立ち上げ時に一緒に買い付けさせてもらったりしてて、ここでアメリカのノウハウも教えてもらったかな。

レペゼン:
その時の買い付けはニューヨークが多かったんですか?

金子淳二郎:
いやLAが多かったですね。でも、何回かはボストンとか東海岸も回らせてもらいましたね。最後の1年ぐらいは結構海外に行かせてもらってましたね。

レペゼン:
その社員の時に得た経験がLafayetteを立ち上げることに繋がった感じなんですか?それと24歳ってタイミングは何かあるんですか?

金子淳二郎:
だいたい18歳とか20代前半は主に和田の家にみんなで溜まってたんですけど。笑
洋服屋やろう!みたいな話は前々からあって、3~4年その話をずっとしてました。んで、実際に動こうって3人で貯金を始めたんですよ。それが200万ぐらい貯まって、残りは借りてオープンさせたって感じです。だからそれがその24歳に重なったってことですね。

レペゼン:
最初の藤沢店をオープンさせた時はどんな気持ちでした?

金子淳二郎:
最高でしたね。とにかく藤沢店にいるのが楽しかった。終わっても友達とかとダベって溜り場みたいになってましたね。

レペゼン:
今の藤沢は当時とお店の場所とかも何も変わらずですか?

金子淳二郎:
場所は変わらずですね。でもバックヤードとかは今みたいな感じじゃなくて、ソファが置いてあって”溜り場”って感じになってって、常に誰かがいて酒飲んでるみたいな感じで自由でした。

レペゼン:
いいですねー!!みんなが溜まれるようなお店にしたかったんですか?

金子淳二郎:
当時のニューヨークがそういうお店が多くて、その感じが好きだったかもしれないです。店の前でたむろしてるみたいな。今はなかなかそう言うの出来ないですけどね。

レペゼン:
そういうご時世ですからね…
藤沢店がオープンしてからその2年後に横浜店オープンって展開が結構早いなって思うんですけど、何かきっかけがあったんですか?

金子淳二郎:
藤沢オープンの時に600万円ぐらい借金したんですけど、結構売れてたので、月30万円ぐらいのペースで返してたんですよ。で、1年半ぐらいで500万戻したんで、じゃあもう1回借りて次は横浜で攻めようって。その頃、お店に溜まってる子たちを店員に誘って、お店出そうって。

レペゼン:
2店舗目を横浜にしたのは何か考えがあったんですか?

金子淳二郎:
神奈川でこういうお店ってないよねってなって、藤沢店とは少し違ったことやりたかったし、横浜は西海岸系ばかりで東海岸系がなかったからチャンスだって思って。だから物件とか見に行ってすぐ決めちゃいました。

レペゼン:
即決で横浜だったんですね!

人生グラフ④東京進出 PRIVILEGEオープン

レペゼン:
横浜オープンの4年後にPRIVILEGE東京がオープンしたんですけど、ここまでの4年で、次は東京だ!って決まっていたんですか?

金子淳二郎:
当時は海外からDJやアーティスト呼んでイベントやったりイケイケで、怖いもの知らずだったんですよ。笑
神奈川ではある程度知名度も出てきてたから、次行くなら東京だなって。でも東京って競合が多いし、だから名前をPRIVILEGE(プリビレッジ)に変えたってのもあるんだよね。

レペゼン:
戦略的に名前を変えたんですね。

金子淳二郎:
Lafayetteって神奈川で結構有名になってきたなって思うんだけど、Lafayette東京を出してすぐにダメになっちゃったらイメージ悪くなるしね。

レペゼン:
それはあるかもしれないですもんね。

金子淳二郎:
それにインポート屋って東京には沢山あったし、もっと自社ブランドも打ち出して行こうかなって思ってたので。

レペゼン:
なるほど。

金子淳二郎:
実はLafayette横浜は当時、神奈川初の”Supremeの正規取り扱い店”だったんですよ。でもその後Supremeの方針で急に取り扱いが出来なくなっちゃうんですけど。

レペゼン:
なるほど。

金子淳二郎:
そういうのを見ていて方向転換をして自社ブランドを強めて、Lafayetteブランドをもっと世に出そうってなったんです。

レペゼン:
そこからオリジナルのラインが増えていく訳ですね。

金子淳二郎:
そうなると神奈川じゃなくて東京にオリジナルをメインに置くお店を作りたいなと思って。

レペゼン:
それがPRIVILEGE原宿だったんですね。なるほどー!!

金子淳二郎:
もともと横浜とか藤沢ではセレクトも古着もやったりとかガチャガチャだったのを、原宿ではもっとオリジナルにフォーカスしてやり始めました。それがその後で新潟や仙台、名古屋に出来たりしてフランチャイズで広がっていった感じですね。

レペゼン:
Lafayetteの藤沢店、横浜店それからPRIVILEGE東京だけでも、それぞれカラーが違うと思うんですけど、それは土地柄とか意識していたんですか?

金子淳二郎:
各お店でちょっとずつコンセプトを変えていってます。藤沢は昔からルーズに着るスタイルが多いし、また横浜は東京じゃない!っていう横浜愛が強い子達が多いし、原宿は最先端だしってので変えてました。

レペゼン:
30歳で原宿店をオープンさせてから5年後に結婚という事ですが、プライベートでも色々変化があったんですか?

金子淳二郎:
24~30歳ぐらいまで遊びまくっていたと思います。笑

レペゼン:
かっこいいですね。笑

金子淳二郎:
奥さんは20歳ぐらいから知ってる仲なんだけど、俺はずっと「チャラい」って言われてて。笑
でもそんなフラフラしてる感じも全部知ってくれるから結婚したってのもあります。笑

レペゼン:
なるほど。笑

人生グラフ⑤念願のニューヨーク店オープン

レペゼン:
それで結婚されてから3年後に念願のニューヨークでオープンですけど、その時の気持ちはどうでしたか?

金子淳二郎:
めちゃエキサイティングでしたね。もう、興奮しました。「やっとできる!!」っていう感じで。ニューヨークに出店するためにあっちに会社を作ってからその時すでに3~4年経ってたんですよ。

レペゼン:
ニューヨークで会社を立ててから3~4年って事ですか?

金子淳二郎:
そうですね。もう向こうに事務所を構えてから3、4年経ってたし、なかなか厳しい状況が続いていたから、だから決して余裕があってオープンさせた訳じゃないんですよね。お金も借りたし。オープンした達成感というより、「こっからだ!!」って感じでしたね。

レペゼン:
もう1回スタートだなみたいな感じですね。

金子淳二郎:
やっとスタート地点に立てたって感じです。

レペゼン:
じゃあ2年前にようやくスタート地点に立てて、現在もまだフレッシュな気持ちでやってるってかんじですか?

金子淳二郎:
まぁ日本でお店出すのとはちょっと訳が違うなって。ここ1、2年くらいは大変な想いもしながら頑張ってます。

レペゼン:
やっぱり日本とは訳が違うんですねー!
いやー、ここまでリアルで面白い話が続いていますが、続きは後編にて聞いていきます!!

終始穏やかに、にこやかにインタビューに答えてくれた、金子淳二郎。その包容力たるや、我々取材陣もこの人のもとで働きたい、そんな思いさえ抱かせるものがあった。

初店舗となる藤沢も想いの強かったニューヨークも淡々と語った彼ではあったが、きっとその裏には幾多の苦労そしてその数だけのブレイクスルーがあったのだろう。それを超えてきて、この包容力。Lafayetteの強さはここにあると確信した。

後編は今や世界を股に活動する彼、金子淳二郎の視点から見た、カルチャーの違いや”何かを生み出すためのマインド”について聞いた。Lafayetteファンだけでなく、世の中の経営者、今、何かを企んでるあなたは必見。

後編を読む→

 

金子淳二郎 Instagram:jun_lafayette

Interview by DJ K.DA.Bdjkdab

日本のストリートをレペゼンしよう。

FacebookTwitterLine

PICK UP

DOPE

  • 人気記事
  • 急上昇
  • NEW

TAG