Interview

2018.11.22 Thu

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レペゼンインタビュー:DJ WATARAI J.J.FADからMISIAまで

ジャパニーズヒップホップ草創期から今日まで現場を盛り上げ続けるDJのライフスタイルとは

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クラブに行けば、2つのターンテーブルの間に難しそうな機械を置き、忙しそうに手を動かす人たちが必ずいる。言わずもがなDJである。一度クラブに足を入れれば、あなたの気分がブチ上がるのも、チルするのも、DJの手先、指先に委ねられている。
レペゼンインタビュー第13回目の今回は、日本のヒップホップの草創期から現場に身をおき、今なおヘッズたちの心を揺さぶりつずける、愛すべき男、DJ WATARAIの人生にフォーカス。ヒップホップとの出会いから、あの大ヒット曲誕生の裏話まで、ヒップホップを愛するあなたは必読です!

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自己紹介

レペゼン:
はじめに、自己紹介をお願いします。

DJ WATARAI:
DJ WATARAIと申します。本名が渡会浩(ワタライヒロシ)で、そこからとりました。出身は渋谷区の幡ヶ谷出身で、今も幡ヶ谷に住んでいます。O型です。生年月日は1973年9月22日で、足のサイズは27.5センチです。好きな食べ物はお肉全般かなー。嫌いな食べ物はないです!利き手は右手です。

レペゼン:
スクラッチするのはどっちの手ですか?

DJ WATARAI:
どっちもやります。どちらかというと左かな。もともと左が苦手で、左ばっかりやってたらそっちの方が上手くなっちゃって。

レペゼン:
へー!面白い!趣味はありますか?

DJ WATARAI:
音楽ですねー。趣味が仕事になっちゃった感じで。それ以外で言うと車が好きです。よく試乗しに行きます。

レペゼン:
今は何乗ってるんですか?

DJ WATARAI:
今はSUV乗ってます。子供ができると、絶対に一生乗らないと思っていたミニバン買う?っていう話が出ちゃってて。笑
来年買い換えるかもしれないんです。ダサいから一人で乗ってるところ見られたくない。笑

レペゼン:
イメージ大事ですもんねー!笑 
最近好きな楽曲はありますか?

DJ WATARAI:
最近はね、LOGIC(ロジック)が好き。LOGICばっかり聴いてますね。今日来るときも聴いてました。

レペゼン:
日本のヒップホップだと何を聞きますか?

DJ WATARAI:
Sweet WilliamのJINMENUSAGIのやつ。あれめっちゃ聴いてます。かっこいいです。

レペゼン:
いいですよねー!!

人生グラフ

レペゼン:
人生グラフっていうの書いてもらってて。これで人生を振り返って欲しいんです。

DJ WATARAI:
うーん。難しいな・・・。

(人生グラフ記入)

レペゼン:
ありがとうございます!まず、小さい頃はどんな子だったんですか?

DJ WATARAI:
フツーの、なんてことはない子でしたね。ひたすら習い事して、キン消しとかビックリマンシール集めたり。あとはRC(ラジコン)が流行ってた。電車のNゲージもやったし。

レペゼン:
そうなんですねー!!
そこからDJになるとか面白そう!では一つずつのエピソードを教えていただけますか?

DJ WATARAI:
初めてDISCOに行くのが15歳。

レペゼン:
え!早!!昔のDISCOって規制緩かったんですか?

DJ WATARAI:
渋谷、六本木とかはダメだったけど、新宿は大丈夫だった。家出少女少年が集まるような所にみんなで行ってたんです。すげー楽しかった。

レペゼン:
へー!そうなんですねー!!初めてヒップホップを聞いた時のこと、覚えてますか?

DJ WATARAI:
覚えてる!えっと、J.J.FADのSUPER SONICって曲を中3の時に友達が聴いてたんですよ。「ラップって聞いたことある?かっこいいから聞いてみな。」って言われたのがきっかけで。でも、その時は「なんだこれ?」って感じでした。

レペゼン:
最初はピンときてなかったんですね。

DJ WATARAI:
そのあと、友達が渋谷のDJブースでRUN-DMCの「It’s a tricky」って曲をリクエストして。初めて爆音でヒップホップを聞いて、そこで「かっこいい!!」ってハマった感じっすね。

レペゼン:
渋谷のDJブースってなんですか?

DJ WATARAI:
当時は、渋谷のセンター街の交番の前にゲーセンがあるでしょ?あそこにDJブースがあったんだよね。

レペゼン:
へー!!そうなんだー!!!無くさないで欲しかったですねー!!

DJとダンスと

レペゼン:
で、そのあとはダンスを始めるんですね。

DJ WATARAI:
ダンス始めたのは高一・16歳くらいかな。当時はランニングマンとか今でいうヒップホップをニューダンスって呼んでいて、それをやっていました。ニュージャックスウィングとかロックダンスしかなかった時代だね。

レペゼン:
今はオールドって呼ばれているものが、当時はニューダンスって呼ばれていたんですね!面白い。ダンスやりながらDJやってる感じでしたっけ?

DJ WATARAI:
実は、DJはダンスやる前からやってたんです。家にセットがあって、レコードを趣味で集めていて。17歳の時にZOO主催のダンスイベントがあったときに、「DJやってるんだよね?出てみる?」と言われて行ったら「あ、俺これだわ。」ってピンときましたね。笑

レペゼン:
直感的にわかったんですね!

DJ WATARAI:
ダンスって、当時は”夜遊びをするために覚える”って感じだったんだよね。でも、俺が17~18歳くらいの時に周りにプロになり始めた友達がいて。そういうのはやりたくなかったから、ちょうどいいや!ってことで、DJに絞りました。

レペゼン:
どこでDJやってたんですか?

DJ WATARAI:
新宿ですね。始めた頃はクラブがあんまりなくてまだディスコの時代でした。ハコには決まったDJがいたから、時間を分けて複数人でDJするみたいな文化がなくて。だから初めのうちはディスコで自分の時間持つことはなかなかできなかったですね。

レペゼン:
なるほど。

DJ WATARAI:
しかもヒップホップも流行ってなかったから、企画書持って行っても、門前払い。だから当時は自分たちでライブハウスを借りて、自分たちが好きなことをやってました。

レペゼン:
あんまりヒップホップを聞ける場所がなかったんですねー

DJ WATARAI:
当時、西麻布にTERMINAL(ターミナル)っていうクラブがあって、それが今のHARLEMの前身になるようなクラブだったんですよ。ヒップホップはそこぐらいかなー

レペゼン:
へーーーーー!!!!!

DJ WATARAI:
でもそれぐらいしかなかったんですよ。ヒップホップやってるところは。

レペゼン:
そのTERMINAL時代は誰と出てたんですか?

DJ WATARAI:
その時はMUROくんとDJ HASEBEくんと。そのあと、HASEBEくんとやってたイベントをそのままHARLEMに持ってきた感じです。

レペゼン:
なるほど。それがHARLEMのレギュラースタートになったんですね?

DJ WATARAI:
そうです。HONEY DIP。

レペゼン:
行ったことないですけど、我々にとっては伝説的なイベントですー!

大ヒットと衰退

レペゼン:
このあとは…

DJ WATARAI:
26歳でMISIAの「包み込むように」Remixが大ヒットしました。

レペゼン:
すごいです…!いまだにクラブでもかかるし、本当にいい曲ですよね!!このヒットの影響は大きかったんじゃないですか?

DJ WATARAI:
ヒットがきっかけで制作の仕事がくるようになりました。それまでもMUROくんの曲をちょこちょこ作ったりしてたんですけど、一気にきましたね。ラッキーでした。笑

レペゼン:
グラフも、右上がりですね!!

DJ WATARAI:
MISIAのデビュー曲なんですよ、これ。しかも、もともとダンスのビデオを出してる会社が初めてのアーティストのマネジメントするっていう話で。3,000枚売れればいいと思ってたのに、240万枚売れちゃって。

レペゼン:
すげーーー!!超大ヒットだ!!

DJ WATARAI:
もともと売れないと思ってたからギャラ5万円くらいしかもらってなかったんだけど。笑
まあ、このおかげで仕事がくるようになったからよかったんですけどね。

レペゼン:
でもなんかちょっと勿体無いですね。笑
そもそも、どうやって曲作りを覚えたんですか?

DJ WATARAI:
最初は独学で。覚えるのに2年くらいかかりました。SP2000っていうのを初めて買ったんですけど、機械苦手だし、マニュアルが英語だったんですよ。笑
一語ずつ訳してたんですけど、全然わかんなくて。笑
MPCは人に教えてもらって。それからずっとMPC。

レペゼン:
機械もまだ日本では一般的ではなかった時代だったんですね。そのあと、順調かと思いきや、グラフが下がっていますが・・・。

DJ WATARAI:
30歳で仕事が激減しました。笑

レペゼン:
なんで激減してしまったんですか?

DJ WATARAI:
なんでですかね…この時、HARLEMでやってたHONEY DIPをELEVENに移そう!ってやったらあまりうまくいかなくて…

レペゼン:
制作の方はどうだったんですか?

DJ WATARAI:
そのくらいから、なぜか制作の仕事も激減して…めっちゃ暇になっちゃって。ここから1年くらい開き直って遊びまくっていました。

レペゼン:
どうやって乗り越えられたんですか?

DJ WATARAI:
またHARLEMに金曜日入らない?って誘ってもらって、DJも徐々に増えていきました。RHYMESTERの制作をやったくらいからまた制作も増えて、DJの現場も増えて、41歳で結婚!さらに子供が生まれたって感じですね。

レペゼン:
結婚式はされたんですか?

DJ WATARAI:
二次会はHARLEMでしました。嫁がやりたいって言って。俺は職場だから嫌だったんだけどね。笑

レペゼン:
確かに。笑
最近はグラフは上がってきて、いい感じっていうことですね!

DJ WATARAI:
そうですね。

 

今はクラブに行けば当たり前にヒップホップが流れているが、クラブでヒップホップをかけられなかった時代から、その土壌を築いてきた人の懐は深い。時代に左右されるようなマイナスな出来事も「どこかにプラスな要素がある」と笑顔で語ってくれた。シーンが盛り上がる背後には、やっぱりこんな人がいたのだ。
後編はDJの技術や今後のストリートシーンへの希望を語ってもらった。乞うご期待。

後編を読む→

 

▼DJ WATARAI
Instagram:djwatarai

Interview:ABE HONOKA
Writer:中崎史菜

 

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