SOUL SCREAMの結成とStreet Dreamsの作曲/Mr. BEATS a.k.a. DJ CELORY③

気になる彼の歴史

ライター:レペゼン君

レペゼン:
では次に、SOUL SCREAMのスタートの話しを教えてください! 

DJ CELORY:
実は、SOUL SCREAMの前身はPower Rice Crew(パワー・ライス・クルー)っていうグループで、俺はファンで高校の時にライブ観に行ってたんだよね。

レペゼン:
最初は観る側だったんですね!

DJ CELORY:
そう。俺が19歳くらいの時に、さっき話した錦糸町のクラブで「DJ探してるんだけど、やらないか」ってHAB I SCREAMやE.G.G MANに誘われたんだよね。

レペゼン:
なるほど。

DJ CELORY:
当時、YOU THE ROCK★(ユウ・ザ・ロック)が主催してる「BLACK MONDAY(ブラックマンデー)」っていうイベントがあって、そこでやっているフリースタイル に参加していたSHIKIってラッパーがいたんだけど。そのSHIKIと俺がPower Rice Crewのメンバーに加わって、SOUL SCREAMが結成されたって感じ。

レペゼン:
そんな経緯があったんですね!

DJ CELORY:
SOUL SCREAMとして活動しだした後に「さんピンCAMP」が開かれたりして、シーンと一緒に盛り上がっていけたかな。

レペゼン:
本当にとんとん拍子ですねー!

DJ CELORY:
HAB I SCREAMやE.G.G MANは、RHYMESTER(ライムスター)とか、MELLOW YELLOW(メロー・イエロー)、MICROPHONE PAGER(マイクロフォン・ペイジャー)とかがみんな知り合いだったからね。同じ土俵にいて、すでに活躍してた人たちだったから、スムーズだったんだと思う。

レペゼン:
豪華メンバー!!

DJ CELORY:
俺は最初、観てる側で「そっち側の世界に行きたい!」と思っていたら、そこにいつの間にか組み込まれていた感じかな。

レペゼン:
憧れの舞台に、ご自身が立ったんですね。その後もとんとん拍子だったんですか?

DJ CELORY:
うん。そこからファーストアルバム出したし、順調だったね。さんピンCAMPのお陰でシーンとしても盛り上がっていて、曲も“出せば聴いてもらえる”時期だったし。

レペゼン:
どんな風にファーストアルバムを作られたんですか?

DJ CELORY:
ファーストアルバム「The Deep」を出した頃、俺はまだトラック制作の勉強中で。当時たくさんトラックを作っていたMummy-D(マミー・ディー)くんとか、DJ TONK(トンク)さんとか、INOVADER(イノベーダー)さんとか周りの人に参加してもらって。俺自身はファーストでは4曲作ったのね。見よう見まねで、こうやってレコーディングやるんだって覚えていった感じ。

レペゼン:
勉強しながら作られたアルバムだったんですね。

DJ CELORY:
ファーストアルバムをリリース後に、そこで吸収したものも生かして「TOu-KYOu」という曲をリリースして。トラック作っている段階だとわからなかったんだけど、俺が「かっこいいな」と思うものを世の中の人もかっこいいって思っていることがわかって。自信がついたよね。

レペゼン:
早速、ご自身で作られた曲が世間から評価されたんですね。

DJ CELORY:
ファーストアルバム出した後、グループがFuture Shock(フューチャー・ショック)っていうヒップホップ専門のレーベルに移籍してね。立ち上げから参加したんんだけど、そのレーベルにはZEEBRA、OZROSAURUS(オジロザウルス)もいた。般若も後から入って来たりね。

レペゼン:
半端ないっっっっっ!そんなレーベルから、セカンドアルバムを出されたんですね。
人生グラフに「全曲制作」とありますが・・・

DJ CELORY:
そう。この時にはある程度トラックが作れるようになっていて。セカンドでは全曲俺がプロデュースした。その後、代表曲となる「蜂と蝶」もその中に入ってるよ。

レペゼン:
ずっとそのアルバムを聴いていたので、そんな裏話を伺えて感動です…!

DJ CELORY:
その後、SOUL SCREAMのアルバムを数枚リリースしたり、自分のソロアルバムも2枚リリースしたりしながら、”BON-VOYAGE”を26歳くらいで始めたかな。もう13年以上やってるんだよ。

レペゼン:
本当に歴史のあるイベントですよね! 

DJ CELORY:
そうだね。ボンボヤ(BON-VOYAGE)を始めた時に、今でもやってくれているVJのMKNYoneの子供が生まれてさ。今、中学生になってるから。その子が20歳になるまでは続けなきゃねって。そしたら、その子がイベントに来れるじゃん?

レペゼン:
確かに!夢がありますね!まだまだ盛り上がって欲しいです!

DJ CELORY:
そのあと、Street Dreams(ストリート・ドリームス)を作曲したのが27歳の時かな。

レペゼン:
お!Street Dreams!

DJ CELORY:
ジブさん(ZEEBRAさん)に「ビート聴かせて」って言われて、当時、家が近所だったからチャリンコでビート5~6曲持ってったんだよね。

レペゼン:
はい。

DJ CELORY:
ストドリ(Street Dreams)のビートができたとき、「すごいごっついのできたな」って思って、”しかるべき人用”に取っておいたんだよね。

レペゼン:
そうなんですね。

DJ CELORY:
ジブさんに聴かせたら、真っ先に「ストドリ(Street Dreams)のビートで作ろう!」ってなったので、レコーディングして、シングルとしてリリースした感じだね。

レペゼン:
なるほど!ごっついの温めておいてよかったですね!

DJ CELORY:
同じ時期に他の人から作曲を依頼されていたんだけど、この曲をジブさんに渡して本当に良かったと思う。大正解でしょ?笑
他の人だったら、ストドリがストドリでなくなってたと思う。

レペゼン:
大正解っていうのが恐れ多いぐらい大正解です!そう考えると、すごく勢いに乗った20代だったんですね。

DJ CELORY:
うん。20代は特に、トラックもたくさん作ったし、ヒップホップブームが訪れたから、チャンスをものにできた。楽しくて、好きでやってたらいつの間にかこうなっちゃったって感じなんだけど。

レペゼン:
ただ、グラフを見ると30歳を過ぎたくらいで下がっていますが、何かあったんですか?

DJ CELORY:
食べて行くには困らない稼ぎはあったし、DJ活動やトラック制作もそれなりにこなしていたんだけどね。勢いが無くなってきた感じかな。

レペゼン:
なるほど。ご自身はこの時、どういう気持ちで活動していたんですか?

DJ CELORY:
人生、山あり谷ありだから、まあこういう時期もあるのかなーと。

レペゼン:
なるほど。

DJ CELORY:
そう考えると30代は自分の活動において、特に勢い付いた時期があったわけではなかったかもね。

レペゼン:
30代というと結構長い期間ですね…しかしその後、最近にかけて上がってきていますね!きっかけは…

DJ CELORY:
2016年の年末あたりに、翌年からスタート予定のAbemaMixの話が舞い込んできたり、ジブさんからのLIVE DJに誘われたりしだしたんだよね。なんとなく、また波が自分に向いてきた兆しあったね。

レペゼン:
なるほど。そして、最近はいろんなメディアにも露出されてますね!

DJ CELORY:
そうだね。2017年以降AbemaMixやWREPなど、ヒップホップ専門のメディアが続々と立ち上がったじゃん。そこにお呼びが掛かったり、フリースタイルダンジョンの2代目DJとしてやり始めたりしたことが、グラフが上がった理由かな。

レペゼン:
我々もいつもチェックしてます!画面やラジオを通してのCELORYさんもかっこいいです!

デビュー当初から今日まで、回してきたレコード1枚1枚、作ってきた1曲1曲の背景にあるストーリーを鮮明に記憶に残し、明日への糧にする。彼のライフスタイルはこの繰り返し。しかし、そんな彼の人生に我々は魅了され続けている。もし、「蜂と蝶」が、「Street Dreams」が、もし「フリースタイルダンジョン」が無かったら、連日盛り上がりを見せる昨今のシーンは無かっただろう。

…続く。

▼Mr. BEATS a.k.a. DJ CELORY
Instagram:mrbeats

Interview:ABE HONOKA
Writer:中崎史菜

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