Interview

2018.12.13 Thu

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レペゼンインタビュー:Mr. BEATS a.k.a. DJ CELORY Street Dreemsの先にあるもの

フリースタイルダンジョン、AbemaMix、WREPでも大活躍のDJの歴史をひも解く

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ヒップホップヘッズであれば、”さんピン世代”だろうと”ダンジョン世代”だろうと、クラブやライブの現場で、あるいはテレビやラジオでこの人の名前を聞かない人はいないだろう。Mr. BEATS a.k.a. DJ CELORY。レペゼンインタビュー第14回目の今回はこの人にスポットライトを当てる。前編はDJを始めたきっかけや、ご存知「SOUL SCREAM」結成の話、さらには最近のメディア露出の話まで、これまで歩んできた彼の人生について聞いた。今も昔も変わらない音楽への愛と、シーンへの貢献、この人の人生から学ぶことは多い。ヘッズ必見です。

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自己紹介

レペゼン:
最初に自己紹介をお名前をお願いします。

DJ CELORY:
Mr. BEATS a.k.a. DJ CELORYです。本名は成瀬智征(なるせ・ともゆき)です。昔、SOUL SCREAM(ソウルスクリーム)っていうグループをやっていて、そのグループのリーダーのHAB I SCREAM(ハブ・アイ・スクリーム)っていう先輩から「お前はCELORYね」って言われて、この名がつきました。

レペゼン:
てっきりセロリが好きなのかと!笑

DJ CELORY:
別に嫌いじゃないけど、特別好きでもないです。笑
本当の理由は付けた本人も忘れてるだろうけど、多分、細かったからじゃないですかね。

レペゼン:
なるほど。本当の理由がわからないんですね。笑

DJ CELORY:
出身は世田谷区の千歳烏山です。ずっと世田谷区内に住んでいます。ここまできたら今後も、世田谷から出ることはないと思います。笑
血液型はA型です。身長は多分173cm、体重は自宅に体重計がないので分からないですが、先日温泉行った時に計ったら60kgでした。足のサイズは27cmかな。1975年10月1日生まれです。あと、利き手は右です。

レペゼン:
ちなみにスクラッチはどちらが得意ですか?

DJ CELORY:
右です!フェーダーは左。右でフェーダーする人も結構多いでしょ?俺は逆なんです。

レペゼン:
そっか。利き手とDJが得意な手はまた違うんですねー!
好きな食べ物を教えてください。

DJ CELORY:
好きな食べ物はラーメンとかカレーかな。よく行くのは「せたが屋」っていう魚介系のラーメン屋。美味いよ。

レペゼン:
「せたが屋」美味しいですよねー!趣味はなんですか?

DJ CELORY:
音楽以外だと断然サッカーだね。やる方も好きだし、観る方も好きだし。
あとは歴史が好き。特に幕末の時代が好きです。行った事のない街にDJ行くと必ずと行っていいほど史跡巡りをするんだよね。でも都道府県だと日本中だいたい行ってしまったかなー。

レペゼン:
すごい! 今まで行ってきた史跡で、1番のお気に入りはどこですか?

DJ CELORY:
幕末関係だと断然、萩ですよ!萩にはクラブがあるわけじゃないから、下関とか小倉でDJがある時は、前乗りして温泉泊まって萩に寄るぐらい萩大好きです。

レペゼン:
そういう趣味があって地方行けるといいですねー!その土地のことも知れるし!

人生グラフ①DJを始めたきっかけ

レペゼン:
人生グラフというものを書いてもらってるんです。

DJ CELORY:
なにそれー!0歳から書くの?笑
こんなの書いたことないや!スタートは18歳にしようかな。

レペゼン:
まずはCELORYさんのDJライフのスタートを教えてください。

DJ CELORY:
高3の時に、夏休み丸々1ヶ月を引越しのアルバイトに当てて、お金貯めて、ターンテーブルにミキサーを一式買ったのが始まりだね。

レペゼン:
なんでターンテーブル買おうと思ったんですか?

DJ CELORY:
それまでもレコードは買っていたんだけど、当時「Juice(ジュース)」っていう2pacも出演している映画をみてね。DJのコンテストのシーンがあったりして。それを観て買おうと。

レペゼン:
映画がきっかけだったんですね!あの映画いいですよねー!最初に買ったレコードは覚えてますか?

DJ CELORY:
なんだったかな。ヒップホップ以外だと小学生の時に買った7inch、武田鉄矢の”少年期”かな。ヒップホップだと忘れたけど、Jeru the Damaja(ジャル・ザ・ダマジャ)の“Come Clean” とか Naughty By Nature(ノーティ・バイ・ネイチャー)の“OPP”とかそんな感じだったと思う。

レペゼン:
いい時代!高校の時はどんな生活を送っていたんですか?

DJ CELORY:
遊びまくってたね。笑
クラブ行ったり、芝浦のGold(ゴールド)とか横浜や六本木のCIRCUS(サーカス)っていうディスコに行ったりして。あの頃は「DADA」とか、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」のダンス甲子園とか、テレビでダンスが盛り上がっていた時期だったからね。ちょうど、ZOOが出てきた頃で。それでそういうカルチャーにハマっていった感じかな。

レペゼン:
そのあと大学時代はどんな感じでしたか?

DJ CELORY:
俺、ヒップホップが好きすぎたのと勉強したくなかったのとで、大学行かないでこの世界に飛び込んだんだよね。

レペゼン:
へー!そうだったんですか!

DJ CELORY:
大学の付属高だったから、98%はそのまま大学に進学して、残りの2%は頭が良くて国立受験しちゃう人だったから、つまり、100%大学にいけるってこと。でも、それを選ばなかった。

レペゼン:
それだけヒップホップを愛していたってことですね!最初はどんな活動をされていたんですか?

DJ CELORY:
とりあえずカセットテープにミックス作って、六本木から新宿、渋谷までターンテーブルがあるお店を全部回って。それが始まりかな。

レペゼン:
最初は苦労もあったんですか?

DJ CELORY:
それが、トントン拍子でうまくいったんだよねー。半年くらいでDJで食えるようになって。

レペゼン:
すごい!!順調な滑り出しですね。

DJ CELORY:
うん。最初は六本木のJ CLUB(ジェー・クラブ)って箱で毎週木曜にやるようになって。そこで、近々クラブをオープンさせたいっていう人に出会って。手伝ってくれという話になって錦糸町のクラブNUDE(ヌード)って箱でやるようになったんだよね。

レペゼン:
縁が繋がりますねー。いきなりDJだけで生計を建てられたってことですか?

DJ CELORY:
うん。でも、給料はほとんどレコードに使ってたなー。当時、渋谷のCISCO(シスコ)っていうレコード屋にやなさん(DJ YANATAKEさん)がいたり、後はマンハッタンレコードで買ってたり。

レペゼン:
今でも繋がってますもんねー!

DJ CELORY:
CISCOでは、やなさんが、良さそうなレコードが入ると俺たち用に取り置きしてくれていて。ホントあの頃からお世話になっているんだよね。もちろん、マンハッタンレコードでも同じようなことしてもらっていました。

レペゼン:
かっこいい!超常連ですね!

DJ CELORY:
そんな感じで月に余裕で10万はレコード買ってたかなあ。いくらとか考えずにボンボン買って、 重いからタクシーで帰る、みたいな。笑

レペゼン:
すごい!かっこいい!

人生グラフ②SOUL SCREAMの結成

レペゼン:
では次に、SOUL SCREAMのスタートの話しを教えてください! 

DJ CELORY:
実は、SOUL SCREAMの前身はPower Rice Crew(パワー・ライス・クルー)っていうグループで、俺はファンで高校の時にライブ観に行ってたんだよね。

レペゼン:
最初は観る側だったんですね!

DJ CELORY:
そう。俺が19歳くらいの時に、さっき話した錦糸町のクラブで「DJ探してるんだけど、やらないか」ってHAB I SCREAMやE.G.G MANに誘われたんだよね。

レペゼン:
なるほど。

DJ CELORY:
当時、YOU THE ROCK★(ユウ・ザ・ロック)が主催してる「BLACK MONDAY(ブラックマンデー)」っていうイベントがあって、そこでやっているフリースタイル に参加していたSHIKIってラッパーがいたんだけど。そのSHIKIと俺がPower Rice Crewのメンバーに加わって、SOUL SCREAMが結成されたって感じ。

レペゼン:
そんな経緯があったんですね!

DJ CELORY:
SOUL SCREAMとして活動しだした後に「さんピンCAMP」が開かれたりして、シーンと一緒に盛り上がっていけたかな。

レペゼン:
本当にとんとん拍子ですねー!

DJ CELORY:
HAB I SCREAMやE.G.G MANは、RHYMESTER(ライムスター)とか、MELLOW YELLOW(メロー・イエロー)、MICROPHONE PAGER(マイクロフォン・ペイジャー)とかがみんな知り合いだったからね。同じ土俵にいて、すでに活躍してた人たちだったから、スムーズだったんだと思う。

レペゼン:
豪華メンバー!!

DJ CELORY:
俺は最初、観てる側で「そっち側の世界に行きたい!」と思っていたら、そこにいつの間にか組み込まれていた感じかな。

レペゼン:
憧れの舞台に、ご自身が立ったんですね。その後もとんとん拍子だったんですか?

DJ CELORY:
うん。そこからファーストアルバム出したし、順調だったね。さんピンCAMPのお陰でシーンとしても盛り上がっていて、曲も“出せば聴いてもらえる”時期だったし。

レペゼン:
どんな風にファーストアルバムを作られたんですか?

DJ CELORY:
ファーストアルバム「The Deep」を出した頃、俺はまだトラック制作の勉強中で。当時たくさんトラックを作っていたMummy-D(マミー・ディー)くんとか、DJ TONK(トンク)さんとか、INOVADER(イノベーダー)さんとか周りの人に参加してもらって。俺自身はファーストでは4曲作ったのね。見よう見まねで、こうやってレコーディングやるんだって覚えていった感じ。

レペゼン:
勉強しながら作られたアルバムだったんですね。

DJ CELORY:
ファーストアルバムをリリース後に、そこで吸収したものも生かして「TOu-KYOu」という曲をリリースして。トラック作っている段階だとわからなかったんだけど、俺が「かっこいいな」と思うものを世の中の人もかっこいいって思っていることがわかって。自信がついたよね。

レペゼン:
早速、ご自身で作られた曲が世間から評価されたんですね。

DJ CELORY:
ファーストアルバム出した後、グループがFuture Shock(フューチャー・ショック)っていうヒップホップ専門のレーベルに移籍してね。立ち上げから参加したんんだけど、そのレーベルにはZEEBRA、OZROSAURUS(オジロザウルス)もいた。般若も後から入って来たりね。

レペゼン:
半端ないっっっっっ!そんなレーベルから、セカンドアルバムを出されたんですね。
人生グラフに「全曲制作」とありますが・・・

DJ CELORY:
そう。この時にはある程度トラックが作れるようになっていて。セカンドでは全曲俺がプロデュースした。その後、代表曲となる「蜂と蝶」もその中に入ってるよ。

レペゼン:
ずっとそのアルバムを聴いていたので、そんな裏話を伺えて感動です…!

DJ CELORY:
その後、SOUL SCREAMのアルバムを数枚リリースしたり、自分のソロアルバムも2枚リリースしたりしながら、”BON-VOYAGE”を26歳くらいで始めたかな。もう13年以上やってるんだよ。

レペゼン:
本当に歴史のあるイベントですよね! 

DJ CELORY:
そうだね。ボンボヤ(BON-VOYAGE)を始めた時に、今でもやってくれているVJのMKNYoneの子供が生まれてさ。今、中学生になってるから。その子が20歳になるまでは続けなきゃねって。そしたら、その子がイベントに来れるじゃん?

レペゼン:
確かに!夢がありますね!まだまだ盛り上がって欲しいです!

人生グラフ③Street Dreams

DJ CELORY:
そのあと、Street Dreams(ストリート・ドリームス)を作曲したのが27歳の時かな。

レペゼン:
お!Street Dreams!

DJ CELORY:
ジブさん(ZEEBRAさん)に「ビート聴かせて」って言われて、当時、家が近所だったからチャリンコでビート5~6曲持ってったんだよね。

レペゼン:
はい。

DJ CELORY:
ストドリ(Street Dreams)のビートができたとき、「すごいごっついのできたな」って思って、”しかるべき人用”に取っておいたんだよね。

レペゼン:
そうなんですね。

DJ CELORY:
ジブさんに聴かせたら、真っ先に「ストドリ(Street Dreams)のビートで作ろう!」ってなったので、レコーディングして、シングルとしてリリースした感じだね。

レペゼン:
なるほど!ごっついの温めておいてよかったですね!

DJ CELORY:
同じ時期に他の人から作曲を依頼されていたんだけど、この曲をジブさんに渡して本当に良かったと思う。大正解でしょ?笑
他の人だったら、ストドリがストドリでなくなってたと思う。

レペゼン:
大正解っていうのが恐れ多いぐらい大正解です!そう考えると、すごく勢いに乗った20代だったんですね。

DJ CELORY:
うん。20代は特に、トラックもたくさん作ったし、ヒップホップブームが訪れたから、チャンスをものにできた。楽しくて、好きでやってたらいつの間にかこうなっちゃったって感じなんだけど。

レペゼン:
ただ、グラフを見ると30歳を過ぎたくらいで下がっていますが、何かあったんですか?

DJ CELORY:
食べて行くには困らない稼ぎはあったし、DJ活動やトラック制作もそれなりにこなしていたんだけどね。勢いが無くなってきた感じかな。

レペゼン:
なるほど。ご自身はこの時、どういう気持ちで活動していたんですか?

DJ CELORY:
人生、山あり谷ありだから、まあこういう時期もあるのかなーと。

レペゼン:
なるほど。

DJ CELORY:
そう考えると30代は自分の活動において、特に勢い付いた時期があったわけではなかったかもね。

レペゼン:
30代というと結構長い期間ですね…しかしその後、最近にかけて上がってきていますね!きっかけは…

DJ CELORY:
2016年の年末あたりに、翌年からスタート予定のAbemaMixの話が舞い込んできたり、ジブさんからのLIVE DJに誘われたりしだしたんだよね。なんとなく、また波が自分に向いてきた兆しあったね。

レペゼン:
なるほど。そして、最近はいろんなメディアにも露出されてますね!

DJ CELORY:
そうだね。2017年以降AbemaMixやWREPなど、ヒップホップ専門のメディアが続々と立ち上がったじゃん。そこにお呼びが掛かったり、フリースタイルダンジョンの2代目DJとしてやり始めたりしたことが、グラフが上がった理由かな。

レペゼン:
我々もいつもチェックしてます!画面やラジオを通してのCELORYさんもかっこいいです!

 

デビュー当初から今日まで、回してきたレコード1枚1枚、作ってきた1曲1曲の背景にあるストーリーを鮮明に記憶に残し、明日への糧にする。彼のライフスタイルはこの繰り返し。しかし、そんな彼の人生に我々は魅了され続けている。もし、「蜂と蝶」が、「Street Dreams」が、もし「フリースタイルダンジョン」が無かったら、連日盛り上がりを見せる昨今のシーンは無かっただろう。
後編はそんなMr. BEATS a.k.a. DJ CELORYにヒップホップやストリートのシーンが今後どうなるか聞いた。現場を盛り上げながらも、常に未来を見据える彼の眼差しにはどんなシーンが映っているのだろうか。乞うご期待。

後編に続く

▼Mr. BEATS a.k.a. DJ CELORY
Instagram:mrbeats

Interview:ABE HONOKA
Writer:中崎史菜

 

日本のストリートをレペゼンしよう。

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