白人、金髪。論争を呼ぶ過激な歌詞と突き立てられた両手の中指。90年代末の音楽業界に突如として現れたラップ・アーティスト、エミネムのデビュー・アルバム『The Slim Shady LP』はアフリカン・アメリカンが大勢を占めるラップ・ミュージックの業界で類のない成功を収めた。
以後、その存在はラップの枠組みを超え、アメリカ音楽業界の象徴的な存在として、世界中の若者からカルト的な人気を博していく。
『The Slim Shady LP』はなぜ多くの若者の心を掴んだのか?そのリリックは彼以前の非アフリカ系ラッパー、またはアフリカ系ラッパーと何が違ったのか?
90年代という時代背景、“エミネム”ことマーシャル・マザーズ青年が歩んできた特殊な生育環境、そして唯一無二のリリック構成力と世界観、ドクター・ドレーとともに作り上げたスリム・シェイディーのブランディングといった観点から、異形のラップ・アルバム『The Slim Shady LP』の魅力について解剖していきたい。
90年代末の音楽シーンについて
1990年代という時代は俗に言うヒップホップ黄金期と呼ばれる時代だ。毎年のようにナズ、ウータン・クラン、スヌープ・ドッグといったスター性の強いアーティストがデビュー、同時に革新的なコンセプトを提示するアルバムが発表され、ラップ・ミュージックが加速度的に円熟味を増していく時代だった。
その中でも特にトゥー・パックとノトーリアス・B.I.G.の登場はシーンの拡大に大きな影響を与えた。強烈なカリスマ性を持った2人のラッパーの存在は、従来ラップ・ミュージックに馴染みがなかった層からもファンを獲得。人種や国境の垣根を超え、米国のみならず、世界中にラップ・ファンを増やすことに繋がっていく。
しかし、96年にトゥー・パックが、翌97年にはノトーリアス・B.I.G.が死去。業界は絶対的な輝きを持った存在を失ってしまう。98年にはDMXが『It’s Dark and Hell Is Hot 』でデビューするが、以前としてシーンはカリスマ2人を失った喪失感を抱えていた。新しい、強烈なスターを欲する飢餓感。そんなラップ・ファンの飢餓感は、予想外の形で埋められる。それがデトロイト出身の白人ラッパー、“スリム・シェイディ”ことエミネムの登場だった。
『The Slim Shady LP』の異質性
1999年にリリースされた『The Slim Shady LP』はそれまでに発表されたどのラップ・アルバムとも違っていた。何が決定的に違っていたのか?一つ一つ分解していきたい。
①自己を侵食するオルター・エゴ
“スリム・シェイディ”とはエミネムのオルター・エゴ(別人格)の名前だ。彼はラップをするにあたって“スリム・シェイディ”という過激な別人格を作り上げることによって、自己の最深部に抱える絶望を強烈な彩度で表現することに成功した。ただラップにおけるオルター・エゴの設定自体は、実はエミネムの専売特許ではない。彼以前にはDigital Underground のリーダーである、 ショック・Gの“ハンプティ・ハンプ” やUltramagnetic MCsのクール・キースの“ドクター・オクタゴン、そしてトゥー・パックの“マキャヴェリ”などもその例だろう。ただこれらのオルター・エゴと“スリム・シェイディ”が決定的に違うのは、“スリム・シェイディ”がエミネムの精神的葛藤から生み出された自己の分身であることに加えて、リリック内での所業が「キャラ設定」や「別称」といった枠組みを遥かに超えており、一個の人格として輪郭をくっきりと持っている点だろう。つまりコントール不能なのである。従来のショック・Gの“ハンプティ・ハンプ”などは本人の意思によって、この世から”消す”こともできるし、“切り替える”こともできる。ただスリム・シェイディは消えない。本体であるエミネムことマーシャル・マザーズ自身を喰らい尽くしてなお余りあるシェイディの憎しみと絶望は、世界中に狂気を伝播させていく。
奇しくも『The Slim Shady LP』リリースと同じ年、1999年に公開された映画『ファイト・クラブ』では、エドワード・ノートン演じるサラリーマン、“僕”の別人格として、ブラット・ピット演じる“タイラー”が登場する。次第にタイラーは“僕”を侵食し、過激な格闘組織“ファイト・クラブ”を作り出す。
コントロール不能なもう一人の自分と侵食される本来の自分。妄想と現実は曖昧な境界線を行き交い、リスナーは虚構か現実か区別がつかない幻想の世界に連れ込まれる。
それこそ『The Slim Shady LP』が提示したそれ以前のメジャーなラップ作品にはなかった全く異質の世界観なのだ。
②叩き上げの異端児が創り上げた誰も真似できないライミング
元々『The Slim Shady LP』の制作は、原型である『The Slim Shady EP』のデモテープを聴いたドクター・ドレーがエミネムのラップに衝撃を受け、「今すぐこいつを探してこい」と言ったことに端を発する。当時すでにN.W.A.、スヌープ・ドッグ、トゥー・パックなど名だたるスターをプロデュースしてきたドレーを一発で惚れさせるほど、エミネムのラップは明らかに他のラッパーとは異なっていた。ドレーを魅了したエミネムのラップの特徴とは一体何なのか?それは大きく分けて「強固なバトルライム」と「白人というマイノリティーのリブランディング」の2点だ。
まず1点目の「強固なバトルライム」という点だが、エミネムがフリースタイルラップの名手であることはよく知られた話だ。彼の半自伝的映画『8 Mile』はデトロイトのアンダーグラウンド・ヒップホップシーンでラップバトルに挑戦する若き日のエミネムの回想を元にした話である。
ラップバトルに出場するいわゆる“バトルラッパー”には対戦相手を屈服させ、観客やジャッジを沸かせるロジックの通し方と攻撃性、適切な語彙選びとライミングが求められる。エミネムは元々デトロイトのラップバトルシーンで技術を高めてきた叩き上げのフリースタイルラッパーであり、1997年にロサンゼルスで開催されたラップ・オリンピックで2位を獲得する実力者だった。(この時に観戦に来ていたインタースコープ・レコーズのインターンがエミネムから受け取ったデモテープが最終的にドレーの手に渡る)
そしてこのアンダーグラウンドで鍛えられた強固なバトルライムに乗せるテーマが彼を他のラッパーと全く異質な存在にする「白人というマイノリティーのリブランディング」だった。
当然の話だが、ヒップホップはアフリカン・アメリカンの人々が主体の業界である。アフリカン・アメリカンの人々が現実に直面している人種差別、貧困、犯罪、または黒人としてのルーツに基づいた民族的な哲学などが歌詞の主な内容だ。白人を含む他人種はアフリカ系の人々が抱えている苦しみはテーマにできない。また、デビューしても、色物扱いされることもしばしばだった(ヴァニラ・アイス然り)。
ただエミネム以前にもアフリカ系以外の人種でシーンで立ち位置を築いたラッパーたちはいた。1981年にはBeastie Boysが登場、80年代後半には3rd BassのMC サーチ、ピート・ナイス、そしてCypress HillのB・リアルらが登場し、非アフリカ系ながらも硬派なライミングとアティチュードでシーンでの立ち位置を築いていた。
ビースティーはヒップホップ草創期のダンスやDJが一体となったブロック・パーティー的な空気感をファニーな言葉遊びを通して曲に落とし込み、下町で生きる白人ヘッズの等身大の生き様を歌った。MC サーチは硬いライミングで技巧派ラッパーとして活動、ナズとも『Back to the Grill』で共演していたし、サイプレス・ヒルは西海岸のストリートライフを語ったラップでプロップスを得ていた。
しかしエミネムの歌詞はこういった彼以前の非アフリカ系ラッパーたちのものとも違っていた。
それこそが彼のリリックの特徴である、徹底的な自己卑下だ。
③吐き気がする自虐ネタを武器にした発想の転換
彼の自虐ネタを具体的に検証するため、実際に『The Slim Shady LP』のリリックの中身を見てみよう。アルバムの代表曲である「My Name Is」は自己紹介の曲であると同時に異様なまでに自虐的な歌だ。いくつかポイントとなるリリックをピックアップした。
①まぶたに釘を刺す
Hi, kids, do you like violence?
Wanna see me stick nine-inch nails through each one of my eyelids?やぁ、キッズ達、暴力は好きかい?
オレの両まぶたに9インチのクギが刺さってるのを見たいかい?
ロックバンド、ナイン・インチ・ネイルズを素材として使った冒頭のリリック。まだ倫理観が身についていない、幼い子供や10代は、アニメや映画などの暴力的な描写を一種の刺激として楽しむ傾向にあるという点に言及し、自分のまぶたを釘で刺すというグロテスクな描写を持ってきた。ナイン・インチ・ネイルズは1988年結成のアメリカのオルタナティヴ・ロックバンドであリ、ダークで内省的な世界観、そして過激なパフォーマンスで当時の90年代のロックシーンを席巻していた。過激性、内省的という共通項から、この「My Name Is」の素材として使うにはうってつけのバンドだった。
②12歳で、一度自分を殺す
Well, since age 12, I felt like I’m someone else
‘Cause I hung my original self from the top bunk with a belt12歳から、オレは自分が自分じゃない気がしてた
本当の自分を二段ベッドの上から吊り下げたからな
学生時代、細身の白人少年だったエミネムはクラスメイトから激しいいじめにあっていた。自己嫌悪の中で、マーシャル少年は本来の自分を二段ベッドから吊り下げて殺した。その亡霊として生まれたのが、狂気のラップ・モンスター、スリム・シェイディだ。
③小児性愛の英語教師に犯されそうになる
My English teacher wanted to flunk me in junior high
中学の英語の先生はオレを落第させたかった
歌詞上は、flunk me(落第させる)としているが、実際にエミネムがラップしたかった歌詞は、
”My English teacher wanted to fuck me in junior high(中学の英語の先生はオレとヤリたがってた)”。内容の余りの過激さに、製作時に修正依頼がかかったという歌詞だ。
④嘘をつかれてきた人生。母はヤク中。
99 percent of my life, I was lied to
I just found out my mom does more dope than I do人生の99パーセント、嘘をつかれてきた
やっとわかったよ。オレの母さんはオレよりヤク中だって
薬物中毒のシングルマザーであるデビーに育てられたマーシャル少年の子供時代は過酷なものだった。後に歌詞の中で徹底的に母親をディスっていくエミネムの手始めの母親ディス。
まぶたに釘を刺し、少年時代に自分の精神を絞殺、英語教師には犯されそうになり、薬物中毒の母親がいる家庭はろくなことがない。かつてこんなにも夢も希望もないラップソングがかつてあっただろうか。
しかしこの徹底的に自己をさらけだした歌詞こそが世界中に子供たちの共感を呼んでいく。
共鳴する世界の不適合者たち
エミネムの歌詞はそれまでのラップの主流テーマであったアフリカ系の人々の課題感を完全に逸脱したものだった。デトロイトという工業地帯に生まれたホワイトトラッシュ(底辺の白人)の苦しみを鮮烈に表現した歌詞は、米国はもちろん世界中の学校、家庭、社会体制に対して絶望し、不適合感を感じていた子供たちが共感するのに十分すぎるものだった。『The Slim Shay LP』はビルボードのR&B/Hip-Hop アルバムチャートで1位を獲得、全世界で爆発的なヒットを記録する。
翌年の2000年にはグラミー賞のベスト・ラップ・アルバムに選ばれ、エミネムは時代のカリスマとしての道を進み始めることになる。
アフリカ系アーティストたちのエミネムへの反応
改めて言及しておくが、上記のような歌詞のため、『The Slim Shady LP』の歌詞内容、そしてエミネムの世界観に拒否反応を示す人々も多い。子供たちの保護者はもちろんだが、ラップ業界においてもアフリカ系ラッパーたちの中には、このなんとも暗い歌詞を喚き散らす白人ラッパーに対して否定的な意見も口にする人々も少なからずいる。グッチ・メインは「エミネムなんか車で聴いたことないぜ」と言い、Geto Boysのスカーフェイスはかつて「オレにはあの白人坊やと一緒にやる準備はできてないな」と笑い飛ばしたりしている。ただもちろん彼のスキルを認めているラッパーも多く、レッドマンは常にエミネムを史上最高のラッパーの一人としているし、クラプトは「エミネムはオレたちのモンスターだ。オレのジェネレーションにとって特にな。彼の色は関係ない。白人であることとスキルは関係ないだろ」とコメントしている。
さまざまな観点から論争を呼ぶラッパーであることは間違いないが、そもそも彼以前にここまで論争の議題になる非アフリカ系ラッパーはいなかった。その意味でもエミネムという存在はラップ・ヒストリーにおいて非常に大きい。
後輩たちへの影響
エミネム以後、非アフリカ系ラッパーの方向性はより多様化していく。黒人の父と白人の母を持ち、過酷な育ちからラップの道を志したロジック、天才的な音楽制作センスを持ち、斬新なヒップホップサウンドを創り続けたマック・ミラー、絶大なスター性を持つG・イージー、そして現代ポップ・ミュージックの寵児、ポスト・マローン。彼らの現在の活躍もエミネムの存在なしには考えられないだろう。またアフリカ系のラッパーの中にも、コーディーやジュース・ワールドのようにエミネムの影響を受け、非常に内省的な歌詞の世界観を提示するラッパーもいる。
スリム・シェイディは止まらない
『The Slim Shady LP』のリリースから約20年。マーシャル・マザーズの中に内在する“スリム・シェイディ”は変わらずにその膨大な怒りのエネルギーをラップという形で吐き出し続けている。国境を越え、言語を越え、全世界を侵食し尽くすまで彼は止まらない。ラップ史において決定的な分岐点を作りだした異形の怪物は、今も世界の子供たちの鼓膜に新たな狂気を注ぎ続けている。