これまで語られた、ラップを始めた頃の壮絶なエピソードの数々。
フリースタイルダンジョンの華やかなイメージとは裏腹に普段は見ることのできない、焚巻のストリートライフを垣間見ることができた。
リリックに落とし込まれてる言葉の重みにはやはり人生をかけた裏付けがある。そう感じることができた。
これから焚巻の人生がどう好転して行くか。そして、ストリートに対する想いと今後展望について語ってもらった。
今後ラップで一儲け考えているあなたはもちろん、ストリートを知らないあなたも釘付けになること間違いなしの男の人生。
焚巻:
24歳ぐらいの時にDJ DAIとのユニットNewJack Skillzで、12inchのBLACK SUN(ブラック・サン)っていうアナログをリリースしました。出した時は、よっしゃー!こっからぶちかませるぞ!って意気込んでて。
でも聴いて貰う以前に知って貰うって事が、実は一番大変でした。リリース1ヶ月後にはレコードショップのディスカウントコーナーに置かれてて…現実の厳しさと向き合ってまだまだ行ってやると思いましたね。
レペゼン:
うまくいかないもんなんですね…どこから巻き返しが始まったんですか??
焚巻:
少しづつ色んな所で、ライブやMCバトルに呼んで貰える様になって、誘われたのがフリースタイルダンジョンでした。
ダンジョン出てから、最終的には安売りされたアナログも再入荷の話を貰いました。…断りましたけど。
レペゼン:
ダンジョンはどういうきっかけで出ることになったんですか?
焚巻:
ダースレイダーさんから誘われてですね。ダースさんが主催してる3 on 3っていうMCバトルがあって、それで一回優勝したことがあったり、戦極MC BATTLEになる前の大会(戦国)で戦った事もあって、その流れで話をもらいましたね。
レペゼン:
なるほど。すごかったですもん。めちゃくちゃバズってましたよね。
焚巻:
自分でも想像してた以上の広がりがありました。YouTubeで見られた事もあって、有りがたい事に色んな方に知って貰えました。
ただ、その後1年経ったぐらいで、ラッパーとしてうまく消化して行かないといけないプレッシャーにぶつかりましたね。結局どこ行っても、”ダンジョンの挑戦者焚巻”って呼ばれるんで。ありがたい事とは思ってるんですが、それって賞味期限があるじゃないですか。
自分が思うリアルな音楽、バックボーンがある上で出演した番組だと思っているので、あくまでダンジョンは焚巻っていうラッパーを知ってもらう”入り口”で、”ゴール”である作品やライブで結果を出したかったですね。
それでもなかなかMCバトル以外のところをフィーチャーしてもらえなくて。それを塗り替えなきゃいけないって時期はありましたね。
レペゼン:
今度は、そのプレッシャーにぶつかるわけですか。
焚巻:
プレッシャーってほどの物じゃ無いんですけど、このまま何もしなければ流行りで終わると思いました。
ただ、どこ行ってもライブ見てもらえればかっこいいって思ってもらえる自信はあったんで、呼んで貰った現場にひたすらライブしに行ってました。
幸い、オファーは増えたので、北は北海道から南は沖縄まで全国にライブしに行きましたね。
レペゼン:
沖縄も!いいなー!
焚巻:
沖縄やばいっすねー!!LODE STAR(ロ―ドスター)のコウイチ君に感謝です!
沖縄には赤土クルーやチコもいて素晴らしいアーティストが沢山いるっす。
レペゼン:
地方で一番印象に残っているところはどこですか?
焚巻:
どこにお邪魔してもだいたい何か喰らって帰ってくるので…一番を決めるのは難しいっすけど…でも自分の中で外せないのは兵庫県の加古川だと思います!
FReECOol(フリークール)ていうHUMANMUSICのトラックメーカーが住んでる場所でもあるんですけど、加古川の人たちは感覚のアンテナが高いんすよ!兵庫は何もない町なんですけど、でも何もないんなら、自分たちでつくろーぜっていうバイブスがアツいっすね。
DJのGREEN WORKS(グリーンワークス)さんって人もFACTORY 079(レコード&アパレルショップ)を自分で作っちゃって。メチャクチャおしゃれなんですよ。さらに最近は皆さんで、コーヒーショップとバーも作って、人が集まるパワースポットになってると思います。
レペゼン:
自分たちで作って行くスタイル、ヒップホップですねー
焚巻 Instagram:takumaki_mc
Interview By ABE HONOKA
場所:OASiS
日本のストリートをレペゼンしよう。