レペゼン:
ラップはいつから始めましたか?
焚巻:
14歳の時からです。だから、ちょー遅咲きなんです。
レペゼン:
早い!中学生の時ですね!どんなきっかけで始めたんですか?
焚巻:
当時、川越市の外れの「いなげや」っていうスーパーにマックが入ってて、そこでよく仲間と麻雀をやってんですけど、ある時、先輩がフライヤー持ってきたんですよ。
当時、まだ”フライヤー”って言葉を知らなくて、”メチャクチャかっこいいデザインのチラシ”やばい!ってなったんですけど、そっからクラブに行き始めましたね。
んで、当時、池袋にMADAM CARRAS(マダムカラス)っていうクラブがあって。あ、ここKICK THE CAN CREWがよくライブやってたところで、トイレにものサインがあったりして。
そことか、池袋のもうひとつあったクラブ、DOOR(ドア)って場所に行くようになってラップし始めました。
レペゼン:
かっこいいチラシ!笑
小さい頃はどんな子供でしたか?
焚巻:
まず、うちは中流家庭で、両親もそろってて、ばあちゃんも一緒に住んでる家に育ちました。両親は共働きだったので、ばあちゃんと過ごす時間が長かったガキでしたね。両親も働いてたんで、勉強と努力さえすれば好きなところにいける、ぐらいの家庭にはいたと思います。
レペゼン:
なるほど。いわゆる”普通”の家庭だったんですね。
焚巻:
そうですね。周りの友達は両親がそろっている奴がほとんどいなくて、なんで僕は、環境としてはメチャクチャ恵まれてました。
中学の時、考えさせられる出来事があって…
レペゼン:
どんな出来事ですか?
焚巻:
当時、お金が無くても遊びたいから、友達たちとみんなで悪いことをしてお金を作るわけですよ。事が終わって、友達んち行って「飯食おう!」ってなるんですけど、そうすると冷や飯が出てくるんですよ。
「電子レンジでチンして」っていうお決まりの置き手紙があったり、カップラーメンが晩飯っていう家もありました。でも自分んちに帰ったら、あったかい飯が出てくるわけですよ。だから、同じことをしてても、仲間はマジで金なくてこれをやってんだなって思って…
自分は家に帰れば両親も居て、飯も出てくるのに、背伸びしてみんなと同じ事をやってたんでしょうね。
これは色んなことがある中の一コマにすぎないんですけど、その時に、「俺ってメチャクチャ恵まれてんだなっ」て痛感しました。
レペゼン:
なるほど。悪いことをした結果、そこに気づいたんですね。
焚巻:
でもそれで、エリート劣等感みたいなものが出来て、反抗期が加速してっちゃうんですよね。
周りの人間から見たら本当に甘ちゃんだったと思いますよ。それぐらいの頃から、クラブにも行きはじめました。
レペゼン:
なるほど。
焚巻 Instagram:takumaki_mc
Interview By ABE HONOKA
場所:OASiS
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