レペゼン:
HARLEMのレギュラースタートしたあとは…
DJ WATARAI:
26歳でMISIAの「包み込むように」Remixが大ヒットしました。
レペゼン:
すごいです…!いまだにクラブでもかかるし、本当にいい曲ですよね!!
このヒットの影響は大きかったんじゃないですか?
DJ WATARAI:
ヒットがきっかけで制作の仕事がくるようになりました。それまでもMUROくんの曲をちょこちょこ作ったりしてたんですけど、一気にきましたね。ラッキーでした。笑
レペゼン:
グラフも、右上がりですね!!
DJ WATARAI:
MISIAのデビュー曲なんですよ、これ。しかも、もともとダンスのビデオを出してる会社が初めてのアーティストのマネジメントするっていう話で。
3,000枚売れればいいと思ってたのに、240万枚売れちゃって。
レペゼン:
すげーーー!!超大ヒットだ!!
DJ WATARAI:
もともと売れないと思ってたからギャラ5万円くらいしかもらってなかったんだけど。笑 まあ、このおかげで仕事がくるようになったからよかったんですけどね。
レペゼン:
でもなんかちょっと勿体無いですね。笑
そもそも、どうやって曲作りを覚えたんですか?
DJ WATARAI:
最初は独学で。覚えるのに2年くらいかかりました。
「SP2000」っていうのを初めて買ったんですけど、機械苦手だし、マニュアルが英語だったんですよ。笑 一語ずつ訳してたんですけど、全然わかんなくて。笑
「MPC」は人に教えてもらって。それからずっと「MPC」。
レペゼン:
機械もまだ日本では一般的ではなかった時代だったんですね。そのあと、順調かと思いきや、グラフが下がっていますが・・・。
DJ WATARAI:
30歳で仕事が激減しました。笑
レペゼン:
なんで激減してしまったんですか?
DJ WATARAI:
なんでですかね…。この時、HARLEMでやってたHONEY DIPをELEVENに移そう!ってやったらあまりうまくいかなくて…。
レペゼン:
制作の方はどうだったんですか?
DJ WATARAI:
そのくらいから、なぜか制作の仕事も激減して…めっちゃ暇になっちゃって。ここから1年くらい開き直って遊びまくっていました。
レペゼン:
どうやって乗り越えられたんですか?
DJ WATARAI:
またHARLEMに金曜日入らない?って誘ってもらって、DJの仕事も徐々に増えていきました。
RHYMESTERの制作をやったくらいからまた制作も増えて、DJの現場も増えて、41歳で結婚!さらに子供が生まれたって感じですね。
レペゼン:
結婚式はされたんですか?
DJ WATARAI:
二次会はHARLEMでしました。嫁がやりたいって言って。
俺は職場だから嫌だったんだけどね。笑
レペゼン:
確かに。笑 最近はグラフは上がってきて、いい感じっていうことですね!
DJ WATARAI:
そうですね。
今はクラブに行けば当たり前にヒップホップが流れているが、クラブでヒップホップをかけられなかった時代から、その土壌を築いてきた人の懐は深い。
時代に左右されるようなマイナスな出来事も「どこかにプラスな要素がある」と笑顔で語ってくれた。シーンが盛り上がる背後には、やっぱりこんな人がいたのだ。
次回以降はDJの技術や今後のストリートシーンへの希望を語ってもらった。乞うご期待。
▼DJ WATARAI
Instagram:djwatarai
Interview:ABE HONOKA
Writer:中崎史菜
日本のストリートをレペゼンしよう。