レペゼン:
大学卒業後、グラフには「就職」と書いてありますが。
DJ REN:
はい。就職をして一度DJをやめました。
レペゼン:
そうだったんですね!就職はどういったところに?
DJ REN:
東京に上京して、リクルート系の会社で広告デザインとコピーライターをやってました。3年間普通にサラリーマンでしたね。
レペゼン:
その間はDJは全然やらなかったんですか?
DJ REN:
東京のクラブと繋がりもなかったし、レコードだけ買ってたけど、DJはやってなかったです。24~27歳の3年間はそんな感じでした。
レペゼン:
クラブでのDJ活動とは離れていたんですね。
DJ REN:
離れていましたね。
でも、そこからデザインとかの仕事も良いけど、やっぱり音楽が好きだし、そっちに行きたいなと思うようになって、27、28歳ぐらいの時に「DMR」っていうレコード屋の仕入れの部署に応募してバイヤーとして働いてました。
レペゼン:
大きな会社に勤めてたのに、好きなことにシフトして、また音楽と携わり始めたんですね!!
DJ REN:
裏方って感じでしたけどね。他のレコード屋だとバイヤー兼DJっていう人も多かったんだけど、DMRの規則でクラブDJとかはやっちゃいけなかったんですよ。
レペゼン:
へー!規則が厳しかったんですね。
DJ REN:
基本現場には出れなかったです。
で、そこからどうしようかなって考えて、DJはやりたかったし、スクラッチを勉強しようと思って、DJ宮島さんがやってるスクラッチ専門の「宮島塾」ってところに通い始めたんです。
レペゼン:
宮島塾!!
DJ REN:
そこで、スクラッチとフェーダーの手を矯正したんだよね。
レペゼン:
なるほどー!
DJ REN:
それで2010年かな、VESTAX(ベスタックス)主催のスクラッ チだけの大会があって、そこで優勝しました。
レペゼン:
すごい!そんな簡単に話しますけど、すごいことですよね!!
DJ REN:
その頃にはDMRをやめてたし、実際に現場でプレイしたいなと思うようになって、もう一度クラブでDJをやり始めるようになりました。
レペゼン:
また本格的にやり始めたんですね!!
DJ REN:
そこからVISION(ビジョン)でやってるCLASICCS(クラシックス)ってイベントに出させてもらったり、他にもAXIS(アクシス)とかHARLEM(ハーレム)でも出させてもらってました。
レペゼン:
順調な現場復帰だったんですか?
DJ REN:
スクラッチではチャンピオンを獲っていたけど、クラブDJとしては現場を離れた時間も長かったので、扱いとしては20代の若手と同じだったので自分の中で葛藤はありました。集客力も問われるし。
レペゼン:
なるほど。悔しい思いをされたんですね。
DJ REN:
自分の中では若い子達や同世代と比べても上手い自信はあったし、集客力が判断基準であったとしても腕で勝負したいって思いがあったから、悔しかったけど、意識としては高かった時期ですね。
レペゼン:
悔しさもあるけど前向きに自分を確立していったって感じですね?
DJ REN:
そうですね。集客できなくてへこんでるくらいなら、そういうのをはね除けて集客も頑張るしプレイもしっかりカマすってのを考えていました。
だからグラフではこの時期は上がってますね。
レペゼン:
すごい。そんな状況でも前を向ける姿、かっこいいです。
就職や転職をしても消えなかった音楽への思い。現場では平然と2つのレコードを回しているクールなDJ RENを見ているだけに、彼が歩んできた熱く壮絶な人生を想像することはできなかった。
彼が”クール”なのも、”懐の深さ”がその所以ということがとわかった時、日本も熱い想いを持っていればヒップホップドリームを叶えられる場所なのだと、改めて気付かされた。
次回以降はRed Bull Thre3Style(レッドブル・スリースタイル)の優勝の裏話や、現在の日本のストリートシーンをどう捉えているかを聞いた。さらに激アツな後編、乞うご期待。
▼DJ REN
Instagram:djren1981
Interview:ABE HONOKA
日本のストリートをレペゼンしよう。