レペゼン:
人生グラフというものを書いてもらってるんです。
DJ CELORY:
なにそれー!0歳から書くの?笑
こんなの書いたことないや!スタートは18歳にしようかな。
レペゼン:
まずはCELORYさんのDJライフのスタートを教えてください。
DJ CELORY:
高3の時に、夏休み丸々1ヶ月を引越しのアルバイトに当てて、お金貯めて、ターンテーブルにミキサーを一式買ったのが始まりだね。
レペゼン:
なんでターンテーブル買おうと思ったんですか?
DJ CELORY:
それまでもレコードは買っていたんだけど、当時「Juice(ジュース)」っていう2pacも出演している映画をみてね。DJのコンテストのシーンがあったりして。それを観て買おうと。
レペゼン:
映画がきっかけだったんですね!あの映画いいですよねー!最初に買ったレコードは覚えてますか?
DJ CELORY:
なんだったかな。ヒップホップ以外だと小学生の時に買った7inch、武田鉄矢の”少年期”かな。ヒップホップだと忘れたけど、Jeru the Damaja(ジャル・ザ・ダマジャ)の“Come Clean” とか Naughty By Nature(ノーティ・バイ・ネイチャー)の“OPP”とかそんな感じだったと思う。
レペゼン:
いい時代!高校の時はどんな生活を送っていたんですか?
DJ CELORY:
遊びまくってたね。笑
クラブ行ったり、芝浦のGold(ゴールド)とか横浜や六本木のCIRCUS(サーカス)っていうディスコに行ったりして。あの頃は「DADA」とか、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」のダンス甲子園とか、テレビでダンスが盛り上がっていた時期だったからね。ちょうど、ZOOが出てきた頃で。それでそういうカルチャーにハマっていった感じかな。
レペゼン:
そのあと大学時代はどんな感じでしたか?
DJ CELORY:
俺、ヒップホップが好きすぎたのと勉強したくなかったのとで、大学行かないでこの世界に飛び込んだんだよね。
レペゼン:
へー!そうだったんですか!
DJ CELORY:
大学の付属高だったから、98%はそのまま大学に進学して、残りの2%は頭が良くて国立受験しちゃう人だったから、つまり、100%大学にいけるってこと。でも、それを選ばなかった。
レペゼン:
それだけヒップホップを愛していたってことですね!最初はどんな活動をされていたんですか?
DJ CELORY:
とりあえずカセットテープにミックス作って、六本木から新宿、渋谷までターンテーブルがあるお店を全部回って。それが始まりかな。
レペゼン:
最初は苦労もあったんですか?
DJ CELORY:
それが、トントン拍子でうまくいったんだよねー。半年くらいでDJで食えるようになって。
レペゼン:
すごい!!順調な滑り出しですね。
DJ CELORY:
うん。最初は六本木のJ CLUB(ジェー・クラブ)って箱で毎週木曜にやるようになって。そこで、近々クラブをオープンさせたいっていう人に出会って。手伝ってくれという話になって錦糸町のクラブNUDE(ヌード)って箱でやるようになったんだよね。
レペゼン:
縁が繋がりますねー。いきなりDJだけで生計を建てられたってことですか?
DJ CELORY:
うん。でも、給料はほとんどレコードに使ってたなー。当時、渋谷のCISCO(シスコ)っていうレコード屋にやなさん(DJ YANATAKEさん)がいたり、後はマンハッタンレコードで買ってたり。
レペゼン:
今でも繋がってますもんねー!
DJ CELORY:
CISCOでは、やなさんが、良さそうなレコードが入ると俺たち用に取り置きしてくれていて。ホントあの頃からお世話になっているんだよね。もちろん、マンハッタンレコードでも同じようなことしてもらっていました。
レペゼン:
かっこいい!超常連ですね!
DJ CELORY:
そんな感じで月に余裕で10万はレコード買ってたかなあ。いくらとか考えずにボンボン買って、 重いからタクシーで帰る、みたいな。笑
レペゼン:
すごい!かっこいい!
▼Mr. BEATS a.k.a. DJ CELORY
Instagram:mrbeats
Interview:ABE HONOKA
Writer:中崎史菜
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