レペゼン:
では次に、BULLさん自身のキャリアについて教えてください。何歳ごろから始めましたか?
BULL:
19歳です。昔からバイクいじりが好きで、友達ん家が一軒家でガレージがあったから、ずっとバイクをいじってました。
んで、仲間に不良の後輩がいたんだけど、調子に乗ってバイクで走り回ってたってのがきっかけで、隣の中学の先輩に呼び出された時があって…。
んで、その後輩が、「呼び出されたから、古川くん一緒に付いてきてください!」って言い出して。笑 「まじ?」ってなったんだけど、まあしょうがないから付いて行ったんですよ。
呼び出されたのは青山一丁目の吉野家だったんですけど。笑 んで行ったら、その呼び出した人が実はラッパーで。グループも組んでて。
いつの間にか今度ライブ見にに来いっていう話になって。まあ俺もヒップホップ好きだったから、行くことになったんです。
んで行ったのは、今はもうないんだけど、西麻布の「CLUB M(クラブ・エム)」っていうクラブでした。
BIG DREAM(ビッグ・ドリーム)っていうイベントで、当時原宿のB BOYの人が主催してるイベントだったんだけど、すげーたくさん人が入ってて、3フロアで、500~600人入ってるみたいな。ヒップホップのみで。
当時ヒップホップ全盛期みたいな感じで、すごかったんすよ。
そんなきっかけで、そこでライブする先輩たちを見に行くようになって。先輩たちのグループは「1DJ、3MC」だったんだけど、一人関西人の人がいて、その人が来れないタイミングがあった時に、急に「お前ラップしちゃえば?」って言われて、「え?」みたいな。
そのグループのライブって、そのイベントのトリだったんだけど、いきなりファンだらけの環境の中で、トリをやっちゃえみたいな状況になって、んで、初めてかいたリリックを歌うっていう。テキーラも飲んだことないのに!笑
ていうところから、ラップを初めました。笑
そのあとKOUSHIってやつがそのグループに合流して、JUMP UPっていう大きなクルーになりまして、CDも出して、イベントもやったりするようになりました。
レペゼン:
なるほど、始めたのはそんなきっかけだったんですね!
ラップを始めたあと、”MC BULL”として活躍するまではどんな経緯があったんですか?
BULL:
22歳ぐらいの時にJUMP UPが解散しちゃって、俺はKOUSHIと「あうん」っていうコンビを組んで続けてました。
今も「あうん」はあるにはあるけど、ほとんどやってないけどね。KOUSHIも就職しちゃったし。解散はしてないけど。
一方で「HAZARD(ハザード)」で店員をやりつつって感じでした。KOUSHIは副店長から店長になり、俺もブッキングマネージャーになり。
そこまではラッパーなんだけど、ちょうど8年ぐらい前かな?「HAZARD」のイベントのブッキングしなくちゃいけないし、ラッパーとして顔も売ってかなきゃいけないなって考えたときに、MCは露出する時間が長いから、ぴったりじゃんって思って、MCを始めました。
「HAZARD」の為でもあり、売名行為でもあり。だからドレッドにして目立って、覚えられるようにしてたね。
その甲斐もあって、当時HAZARDも予算がない中だったけど「BULLが言うなら」って言うので、イベントのゲストを呼んで安くやってもらったりしました。
MCを始めた理由はそれだね。当時は他にもCTさんとかNASKAとか、MCがいっぱいいたんですよ。その中でやってましたね。
レペゼン:
すごい営業力ですね。子供の頃も今みたいに社交的な感じだったんですか?
BULL:
いや、そんなでもないかなー。社交的になったのは、MC始めてからかもなー。内向的にやっててもしょうがないじゃん。
MCとして場を盛り上げるためには、お客さんを下から持ち上げるのと、上から引っ張るのって、あると思うんだけど、それはお客さんによって違うんだよね。
でもそれをどうやったら両方できるって、お客さんと同じテンションでやっちゃうのは、まず良くない。だから、テンションあげるっていうか、社交的にやるしかない。
レペゼン:
なるほど。確かに、インタビューとしてお会いするとまた普段とは違うイメージですもんね。
BULL:
現場以外というか普段は静かでしょ。笑 あんまり喋んないっしょ。笑
それを「以外と冷静に見てるよね」とかってすげー言われますよね。「イェー!!」て叫びながらも結構気使ってるけどね。気にしーだから。笑
クラブ来てくれたお客さんの名前呼んだりとかさ、してるでしょ。笑
レペゼン:
確かに!ああやってフロアにいて、ステージから名前呼ばれるとヘッズはめっちゃ嬉しいです!
BULL
Instagram:bullmatic
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