レペゼン:
人生グラフというもので、DJ RINAさんご自身の人生を振り返って頂きたいと思います!
DJ RINA:
へぇー。なにこれー!
(人生グラフ記入)
レペゼン:
ありがとうございます!まず学生時代はどうでしたか?
DJ RINA:
合唱を8年やってて、小学校も合唱で有名なところで、高校も海外に行ったりするくらい合唱部が有名な高校に通ってました。それで16歳の時にNHKの合唱コンクールで全国優勝しました。
レペゼン:
全国優勝って凄いですね!合唱がやりたくてその高校に入ったんですか?
DJ RINA:
学校の音楽の先生になりたくて頭の良い学校を目指してたんだけど、希望校の推薦が落ちて、自信がなくなって他の学校にした所がたまたま合唱で有名だった感じです。
レペゼン:
へー!学校の先生になりたかったんですね!合唱は結構ガチでやってたんですよね?
DJ RINA:
小中の時は合唱部で部長もやってて、でも高校ではもう合唱は良いやって思って入部しなかったら、顧問の先生に「神様はあなたを恨みます。許しません。」って言われて。笑
結局入って全国優勝したんだけど、クラブを覚えちゃったから1年で辞めちゃって。
レペゼン:
日本一を獲ってから辞めたんですね。
DJ RINA:
そうそう。さらにその流れで不登校になりました。笑
レペゼン:
不登校になっちゃうんですね。笑
クラブは仙台のクラブに行ってたんですよね?
DJ RINA:
そう。17歳でクラブに通い始めて学校にも行かなくなって、バイトをめっちゃやるようになってレコードを買ったり。卒業も皆より1、2週間ぐらい遅れてました。笑
レペゼン:
ちょっと不良だったんですね。笑
DJ RINA:
そうなんです。小学校の時から部活も勉強も頑張ってたけど、髪は凄い染めてたり。笑
男の子とも喧嘩したり。笑
レペゼン:
男の子と喧嘩ってマジヤンキーじゃないですか…笑
当時行ってたクラブはまだあるんですか?
DJ RINA:
まだやってる所もあるけど、ほとんどなくなっちゃったかな。
レペゼン:
そういうの寂しいですよね。その頃はDJはもうやってたんですか?
DJ RINA:
クラブに行くようになったきっかけはヒップホップが好きだったのもあるけど、昔好きだった子がクラブによくいる子で。クラブに行けばその子に会えるし、演者側になればもっと近づけると思って。笑
たまたま、いとこがDJをやってたから、その姿を見て17歳で自分も始めました。
レペゼン:
その動機、凄いですね。笑
その恋は叶ったんですか?
DJ RINA:
3回告白して叶いました。笑
レペゼン:
おぉー凄い!
DJ RINA:
マジで昔と比べて性格変わったなって思います。その頃は電話で、「なんで付き合ってくれないの」とか凄い言いまくってて。今じゃ考えられないけど。笑
レペゼン:
かなり積極的でしたね。笑
DJ RINA:
今は色んな現実を見たり、世の中に揉まれて丸くなったけど、昔は高校の先生にも「将来はDJで食って行くから就職も進学もしないから」って言って何にも考えてなかったんです。
レペゼン:
その頃からDJで行くって決めてたんですね。
それで卒業後は進学はしなかったんですよね?
DJ RINA:
そう。卒業してDJで食っていくって言ったものの、働かないといけないかなって思って仙台のmoussyで契約社員として4年くらい働いてました。
レペゼン:
moussyで働いてた間もクラブには行ってたんですか?
DJ RINA:
はい。DJもしてました。
それでmoussyを22歳ぐらいで辞めて、その頃に東北の地震があったのかな。
レペゼン:
仙台も被害は大きかったですよね。
DJ RINA:
街中に住んでたから電気とかはすぐに復旧したけど、ガスは1ヶ月くらい止まって、その間お風呂に入れなかったかな…
レペゼン:
そうだったんですね…
DJ RINA:
もう8年前ですけどね。この間Twitterで当時の自分のツイートをみてたら、「ちゃんと明日が来ますように」ってつぶやいててこんな思いしてたんだなって。
レペゼン:
それだけ大変だったってことですよね。
DJ RINA:
そうですね。それから1年後の23歳ぐらいの時に上京してきたのかな。
レペゼン:
上京するきっかけは何だったんですか?
DJ RINA:
22歳ぐらいまでアーティストさんのバックDJをして、地方を回りながら、自分の時間をもらってたDJをやらせてもらってたんだけど、昔mixiって流行ってた頃に…
レペゼン:
mixi懐かしいですね。
DJ RINA:
mixiで音楽事務所の人からうちに入りませんかって連絡が来て入ろうかなって思ったのがきっかけですね。
▼DJ RINA
Instagram:djrina
Interview:ABE HONOKA
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