目 次
パーティーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人たちがいる。彼らはなぜ、この仕事を選んだのか?このコーナーではパーティーというカルチャーに関わり続ける演出家たちの過去から現在まで続くキャリアを紐解いていきます。
今回は、圧倒的な知識量と現場対応力で絶大な信頼を集める、YOU-KIDさんのキャリア前編をお送りします。
SHUNSUKE:
まずは自己紹介をお願いします。
YOU-KID:
MC YOU-KIDです。東京都出身、キャリアは17年くらいになるのかな…それくらいです。
SHUNSUKE:
堅苦しいのも嫌なので、普段通りの口調で今日はやらせてもらいますね!

TWIGY、ZEEBRAが教えてくれたヒップホップの衝撃
SHUNSUKE:
YOU-KIDの歩みを深掘りしていきたいんだけど、まずはルーツから。記憶の中で最も古い音楽体験っていうと、どんな曲になる?
YOU-KID:
楽曲そのものというよりは、5歳上の兄貴の影響が大きいですね。兄貴が教えてくれたゲームの『ロックマン』のBGMとか、兄貴がTSUTAYAで借りてきたミスチルやバンドのCDを一緒に聴いていたのが最初です。兄は今音楽系のTV局で働いているんですけど、当時は兄が借りてくるものを横で聴く環境でした。
SHUNSUKE:
ヒップホップにハマるきっかけは何だったの?
YOU-KID:
中学生の時、バスケ部だったんですけど、ナイキのCMで流れていたZEEBRAさんの「Player’s Delight」ですね。アニメーションの中にTwigyさんのバースが乗っていて、それがもうめちゃくちゃカッコよくて。「なんじゃこりゃ!」と衝撃を受けました。そこから兄貴が持っていたDragon Ashの「Grateful Days」を聴いて、「あ、これってあのZEEBRAさん??」と繋がって。ラッパ我リヤさんが参加している「Deep Impact」を聴いたり、いわゆるラップのアルバムを聴き漁るようになりました。

↑アナログ盤は8万円~10万円の値が付く超レア盤としても有名です。
SHUNSUKE:
点と点が線になっていった時期だね。
YOU-KID:
そうですね。調べていくうちに「UBG(URBARIAN GYM)?」「走馬党?」って、これは徒党を組んでる!?クルーっていうのがあるのか!と。そこで初めてヒップホップ特有のコミュニティの存在に気づいたんです。他に特にやりたいこともなかったんですけど、マイクを握ってみたい、ラップしてみたいっていう大きな影響を受けたのは、間違いなくTWIGYさんとZEEBRAさんの存在ですね。
SHUNSUKE:
じゃあ、洋楽のヒップホップにはどうやって触れていったの?
YOU-KID:
USのヒップホップに触れたのは高校の時ですね。A Tribe Called Questだったと思います。最初は単純に「日本語ラップを聴くなら、本場の洋楽も聴かなきゃダメっしょ!」みたいな、背伸びした感覚でした笑
日本語をしっかり聴き込んでいく延長で、徐々にUSも聴くようになっていった感じです。

「地元の祭り」でキックした初めてのバース
SHUNSUKE:
実際に初めて人前でマイクを握ったのはいつ頃?
YOU-KID:
大きなきっかけは、地元のダンススクールのショー音源を作っていたエンジニアのSUI(※1)さんの言葉でした。高校に入る前くらいに出会ったんですけど、僕はもうその頃「ラップしてみたい」って周囲に口に出してたんですよ。SUIさんはそれを知ってくれていて、地元のお祭りのダンスショーの合間に「ワンバースやってみるか」とチャンスをくれたんです。
SHUNSUKE:
当時の高校生が地元の祭りでラップするなんて、かなり珍しかったんじゃない?
YOU-KID:
ものすごく緊張したのを覚えてます笑
曲は Beatnuts feat. Fatman Scoop の「Let’s Git Doe」。あの超アッパーなトラックでラップしたのが、僕にとっての初マイクです。

現場に出るキッカケはMC C.Tとの出会い
SHUNSUKE:
YOU-KIDが本格的に現場へどっぷり浸かるようになったのは、やっぱり師匠であるC.Tさん(※2)との出会いが大きい?どういう経緯だったの?
YOU-KID:
20歳の時ですね。実はそれまで、そんなにクラブ遊びをするタイプでもなかったんですけど、SUIさんの紹介で、当時HARLEMで毎週土曜日にBLOW UPというパーティーでMCをしていたC.Tさんに出会ったんです。そこで開口一番、「毎週来い」と言われて。そこからはもう、毎週欠かさず現場にいるっていう生活が始まりました。そこから知り合いもどんどん増えていきましたね。

↑フライヤーが見つからなかったのでHarlemさんのwebから拝借しました。2008年12月です。
SHUNSUKE:
最初はライブを色々やったりもしてたよね。
YOU-KID:
そうですね、最初はライブをさせてもらっていました。でもC.Tさんの横にずっといるうちに、周りから「お前ラップやってるならMCもできるだろ」っていう空気になってきて。最初は自分の意思というより、C.Tさんが一瞬ブースを外すタイミングで少しシャウトしたりとか。気が付いたら「C.Tと一緒にいるならやれなきゃいけない」っていう、半ば強制的ってわけじゃないですけど、でも自然な流れでサイドMCとしてマイクを握るようになりました。BULL君も言ってましたけど、当時MCにはそんなにノルマみたいなものが付けられなかったんですよ。でも目立てるっていうのもあって。ダンスショーの紹介したりとか、そういうのも別に嫌じゃなかったので少しずつMCの現場も増えていきました。
SHUNSUKE:
当時のC.Tさんはまさに絶対的な存在だったけど、横で見続けていて何を感じていた?
YOU-KID:
とにかく圧倒されてました。C.Tさんは、誰よりも自分で踊って、誰よりも楽しんでいる姿を見せる。服がびしょ濡れになるくらいの熱量で。それを見て「MCっていうのは、言葉で喋るだけじゃなく、この空間を一つにする役割なんだ」って凄く感じましたね。
SHUNSUKE:
当時、平日のイベントに若手として入ってきたYOU-KIDに「喋りすぎだよ」って俺が言った記憶があるね笑
まだ21歳とかで、本当に「キッド」だった。
YOU-KID:
当時はカリカリの小僧でしたからね笑
でも、C.Tさんが数年後に引退してしまったことを考えるとあの時期に、横でその背中を見続けられたのは、僕のキャリアにとって最大の財産なのかなって今でも思います。ふとした瞬間の言い回しに、今でも「あ、これC.Tさんが言ってたな」って思い出したりもします。同じ言葉を言ってるわけじゃないですけど、雰囲気と言うか。そういうのが自然に今でも出ます。

↑浜松営業に一緒に行った時、帰り際にストリートライブをした時の一枚
自分の役割は「一緒にやってるDJのテンションを上げること」
SHUNSUKE:
キャリア初期からYOU-KIDを見てるけど、とにかく「曲をよく知っているな」という印象が強かった。当時はまだ今の半分も喋れていない頃から、一生懸命「この曲はこうなんだ」って伝えようとしていたよね。それは意識的にやってきたことなの?
YOU-KID:
そうですね、特徴がないと残っていけないと思っていましたから。DJと同じ速度で新譜を追って、DJが「これをかけたい」と思った瞬間に、その意図を汲み取ってサポートする。これは今もずっと意識しているんですけど、お客さんはもちろん、何より「一緒にやってるDJのテンションを上げること」を第一に考えています。
SHUNSUKE:
それはすごくプロらしい、MCとしての本質的な感覚だよね。
YOU-KID:
分業じゃないですけど、DJとMCが離れていたら意味がないと思うんです。DJがチャレンジングな新譜をかけて、フロアが「これ何だろう?」って難しい空気になりそうな瞬間ってあるじゃないですか。その時にMCが「いや、これ超いい曲じゃん!」「今これかかってるのヤバい!」ってバイブスを合わせる。それだけでその空間はお客さんも含めて一気にポジティブに成立するんですよ。

SHUNSUKE:
その「サポート」があるだけで、DJ側は圧倒的にトライしやすくなるよ。
YOU-KID:
実を言うと、俺、根が「陽キャ」じゃないんですよ笑
普段はあんまり喋らないし、マイクを持ってないと自信がない。だからこそ、自分が置き去りにされる感覚もわかるというか……クラブにいる誰一人を「置き去りにしたくない」という思いが人一倍強いんです。
SHUNSUKE:
「誰も置き去りにしない」。そのMCとしての哲学はどこから来ているの?
YOU-KID:
やはり師匠であるC.Tさんの影響ですね。C.Tさんは言葉だけで煽るんじゃなく、自らフロアに飛び込んで誰よりも踊って、楽しさを体現していた。その姿を見て、「MCは自分一人が目立つんじゃない。空間全体を一番いい状態にするのが仕事なんだ」と叩き込まれました。
SHUNSUKE:
どんなにイケてる人たちだけが盛り上がっていても、端っこで楽しみ方がわからなくて寂しい思いをしている子がいたら、その夜は100点じゃない。
YOU-KID:
そうなんです。理想論かもしれないけど、その日クラブにいた全員が「今日は楽しかったね」って言って帰れる空気を作りたい。それがC.Tさんから受け継いだ、俺なりのMCの形だと思っています。

※1 90年代後半から数多くのヒップホップ / R&B 作品の制作を手がけてきた名エンジニア。
※2 長きに渡り渋谷Harlemの土曜日を支えたMC。圧倒的な曲の知識を武器に当時パーティMCとして唯一無二の存在感を誇った。

