パーティーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人たちがいる。 彼らはなぜ、この仕事を選んだのか? このコーナーではパーティーというカルチャーに関わり続ける演出家たちの過去から現在まで続くキャリアを紐解いていきます。 今回は東京のパーティMCを代表するMC BULLさんにお話を伺います。

DJ SHUNSUKE:
出身地と活動歴から伺っていいでしょうか?
MC BULL:
東京都出身です、活動は20~21年になります。
DJ SHUNSUKE:
ちょっと敬語で話すのも変な感じがするのでいつも通りにフランクに話させてもらいますね!
音楽の原体験は「モスラのテーマ」
SHUNSUKE:
記憶の中で覚えている音楽の原体験みたいなものってなに??
BULL:
モスラの歌です。映画の。あれを聞いてなんかスゲエいい曲!って思ったんですよね。でも、あれってリリックとか分からないじゃないですか、日本語じゃないし。何語か分からないけど。だから歌詞をノートに書きだしてました。ビデオで見て知ったんですけど、何度も巻き戻しして。 最初に買ったCDだと、8㎝シングルのブラックビスケッツの「スタミナ」。あと、B’z のアルバム 「PLEASURE」です。ブラックビスケッツはバラエティで知りました。当時売れてましたね。PLEASUREも当時やってた本木雅弘さんが出てたドラマ、西遊記のテーマ曲「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」が欲しくて買いました。1993年ですね。CD買い始めたころってアルバムとかシングルとか、あまり分からなくてとにかく「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」が入ってるものを買ったら、それがベストアルバムでした。大当たりのアルバムでしたね。衝撃を受けました。


SHUNSUKE:
邦楽での衝撃がB’zだとするなら、洋楽ってなるとどんな曲になるの?
BULL:
映画「The Jackal」のテーマ、Massive Attackの楽曲「Superpredators」ですね。 ブルースウィリスとリチャードギアの出てる映画で流れるんですけど、それが凄いカッコ良くて。調べてみたらMassive Attackっていう外国人の曲だってことが分かったんです。洋楽っていう認識になるとこの辺になると思います。でも、国外の曲を本当に沢山聞くようになったのはヒップホップと出会ってからになるかな。家では親はJ-POP聞いてたので、洋楽への親しみみたいなものはそんなになかったというか。

SHUNSUKE:
じゃあ、ヒップホップで言うとどんな曲が印象に残ってる?原体験というか。
BULL:
SUIKENさんの「ALKMAN」です。中学の時に友達がジャケ買いしてきたんですよ。KAZZROCKさんのデザインがカッコよくて。で曲を聴いてみて、もう食らいましたね。SUIKENさんの事をそこで初めて認識します。で、奇跡的なんですけど、その友達のお姉ちゃんが当時のNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのマネージャーさんの付き合ってたんですよ。そこで、プロモ版「NITRO MICROPHONE UNDERGROUND」を貸してくれたんです。
SHUNSUKE:
なんか都会っぽいエピソードだね、カッコイイ。

BULL:
もうそれはそれは衝撃を受けました。歌詞カードもないし、よく聞かないと言葉すぐ流れて行っちゃうし。ただ間違いなくカッコイイんですよ。僕はこのアルバムから凄くヒップホップの面白さを知る事になるので忘れられない一枚です。
中学の時、BUDDHA BRANDのベストアルバムが流行ったんですけど、収録されてる「REMIX(KRUSH GROOVE 4)」にMEDICEN MANって書いてあって調べてみるとそれがSUIKENさんで。BUDDHA BRANDもNITROもつながってるっぽいぞ!?とか、そこからラッパ我リヤ、走馬党やUBGを知って。そこからですね。渋谷区港区で育ったのでまあ確かに東京っぽいエピソードかもしれないですね。

デビュー戦は1000人規模の西麻布でのパーティ
SHUNSUKE:
マイクを握ったきっかけ? っていうのは何だったの?
MC BULL:
当時17か18くらいの頃だったかな、高校を辞めてバイトしながら、同じ地元、青山に住む金持ちの友達の家の車庫で、ひたすらバイクをいじっていました。バイクが楽しかったんで、もうバイトしてバイクいじっての繰り返しでしたね。港区では「バイクいじって乗り回してる奴ら」ってちょっと知られてたのかな、とにかく夢中でした。ある時、地元のヤンチャな後輩から電話がかかってきたんですよ、そいつは「港区で一番強い男(ミナトイチ)になる」って小学生の頃から言ってた奴なんですけど、「御成門中の先輩に絡まれたから助けてくれ」と。「もう呼び出されてるから一緒に来てほしい」って言うんですよ。
SHUNSUKE:
喧嘩の助っ人をしてくれって言われたって事だね笑
MC BULL:
そうなんです。場所も近かったんで「じゃあ行くか」と。ドキドキしながら行ってみたら、そこには体がデカくて、いかにもヒップホップな風貌の人がいて。でも結局、喧嘩にはならなかったんですよ。向こうは僕らがバイクをブンブン乗り回してるのを見て、「面白い奴らがいるな」って興味を持っていただけらしくて。そのまま吉野家だか松屋だかで飯を奢ってもらって、仲良くなりました。その先輩がすごいヒップホップ好きで。僕ももうSUIKENさんとか、聴いてはいたんですけど、その人はまんま見た目通り「俺はラッパーだ」って言うんですよ。「俺の言葉はマシンガンだから」って言われた時は、「この人ヤバい!」って衝撃を受けましたね笑
SHUNSUKE:
運命的な出会いですね。そこからどう音楽へ?
MC BULL:
その先輩たちは「ZORO」というグループをやっていて、西麻布の「Club M」で開催されていた1000人規模のイベントでトリを務めていたんです。そこへ見に行くようになって、初めてテキーラを飲んで、夜の世界の楽しさを知ってしまって。ある時、そのグループの大阪在住のメンバーがライブに来られないことがあって、「その穴埋めで誰かがバースを蹴らなきゃいけない」って話になったんです。そこで「お前ヒップホップ好きなんだろ? ラップやれよ」と無茶振りされて。

↑西麻布クラブMがあった場所
SHUNSUKE:
いきなりステージに立つことになったと。
MC BULL:
「マジですか? わかりました」って流れで笑
MCネームもその場で決めることになって、僕が「フル」って呼ばれてたから、「じゃあBULL(ブル)だな」と。16小節のリリックを書いて挑みました。本番は1000人以上が入ってるイベントのトリで、先輩が「新曲作ったよ、俺の後輩がヤバいバース書いてきたから聞いてくれよ」ってハードルを上げまくって。いざ始まったら緊張で頭が真っ白になって、最初の2小節しか歌えませんでした。残りの14小節はぶっ飛ばしちゃって笑
ずっと下を向いて「あわわわ……」ってなってる間に終わってましたね笑
その悔しさが忘れられなくて、そこから本格的にマイクを握るようになりました。それが19歳の時、西麻布からのキャリアスタートです。
「自分や周りにプラスになる付加価値」をつけることの大切さ
SHUNSUKE:
BULLはもう20年選手になるわけだけど、長く続けていく中で、どうやって少しずつ自分の立ち位置を上げていったの?
MC BULL:
正直、「シーンで権力を持ちたい」とか、立ち位置を意識したことはあまりないんですよ。ただ、俺らが若かった頃って、ライブをして集客(ノルマ)があって……という時代だったじゃないですか。その中でただ漫然と過ごしているだけじゃ、絶対に埋もれてしまう。だから、「自分や周りにプラスになる付加価値」をつけることは意識していましたね。 例えば、クラブ「HAZARD」で働いてみたり、ライブだけじゃなくてサイドMCをやってみたり。ヒップホップの現場だけじゃなく、オールミックスのパーティーにも顔を出して、ジャンルを超えた繋がりを作ったり。そうやって顔が売れれば、自分のバースデーイベントにみんなが来てくれるようになる。そういう積み重ねですね。
昔から今も一貫して変わらずやっている事は、どんな現場でも絶対に手を抜かずにやるって事です。 昔は客が2〜3人しかいない小箱の時もあったし、逆に大箱でも人が入らない時もある。でも、どんな状況でも「やることはきちんとやる」。1000人入ってたら1000人盛り上げられるように力を尽くすし、たった3人相手だとしても、その3人をどれだけ楽しませられるか。楽しんでもらえたら次も来てくれるかもしれない。でもそういう事をしなければ、もう次はないわけで。

SHUNSUKE:
コツコツやるしかないと。
MC BULL:
そうですね。今はSNSでバズって一発逆転みたいなこともありますけど、俺らの時代はあり得なかったから。 後は、とにかく「とてつもなく人が入っているパーティー」には必ず顔を出して、「あいつ、常にいるな」って状態を作っていました。お金がない時は借金してでもクラブに行って、安いシャンパン開けて、人から見て覚えやすいようにドレッドヘアにみたり。印象に残る動きをしようと。なので、そういう動きを出来る若い子を評価してますね。 DJの実力も当たり前に大事です。でもそれ以上に、ずっとブースの前で体を揺らしてるとか、明るく酒飲んでるとか、人と人を繋げる役目をしている奴を見ると、仕事してるな、楽しませようとしてるなって思います。ボケッと携帯見てる奴もいますけど、いつかどこかで差が出てくる。お客さんにとってはそれがクラブの醍醐味のひとつでもあるし大事な事だと思ってます。たとえスキルや知名度がなくても、「自分にしかできないことを一つ見つける」のが大事なんです。「あいつは人を呼べないけど、パーティーを盛り上げるのは誰よりも上手い」とか「こいつがいると色んな人が繋がる」とか。 そうやって精一杯やっていれば、必ず見る人は見ている。そう思ってやってきたし、それは結果に繋がりました。日本中に沢山のライバルがいてもその中で勝ち続けなければ続けていくのは難しくなる。大勢のライバルやお客さんを前にして、その中で「個」として印象に残るには、それくらいのパワーや意識、動きが必要なんです。
コロナ禍の時だけは「辞めざるを得ないのかな」と頭をよぎった
SHUNSUKE:
長くキャリアを積み重ねてきた中で、マイクを置こうと思ったことはある?
MC BULL:
今のところはないですね。そもそも僕が始めた頃って、出演者にはノルマがあったんですけど、MCには無かったんですよ。どちらかと言うとVJのような「演出のサポートメンバー」という立ち位置で、主役というカテゴリではなかったから。だから金銭的なリスクを負わずに、長時間ステージに立って露出できたんです。ノルマがきついから辞めようって辞めていった人もいるかもしれないけど、そういう事は自分には無かった。それに働いていた「HAZARD(ハザード)」という帰る場所もあったから外で繋がった人をそこへ連れ帰る良いサイクルができてたし。

↑SHIBUYA HAZARD Finalのフライヤー。多くのラッパー,DJこの場所から羽ばたいた。
SHUNSUKE:
辞める理由がなかったと。
MC BULL:
そうですね。評価されて、必要とされ続けている限りはやろうかなと。もちろん時代が変わって、僕のスタイルが「暑苦しい」「うるさい」と言われるようになったら辞めるかもしれませんけど笑
ただ、コロナ禍の時だけは「辞めざるを得ないのかな」と頭をよぎりましたね。現場がなくなって「自分からクラブやマイクを引いたら何が残るんだろう?」と不安になって見つめ直しました。 結果的に時間が出来たことによって、カメラを買って映像編集を覚えたり、新しい武器を作るいいきっかけにはなりましたけどね。だから、「自分から辞めよう」と思ったことはないです。単純に好きですし。
後半へ続く
プロフィール
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東京出身ラッパー /MC。 今までに DJ HAZIME,DJ Souljah, などの作品に参加し、現在では渋谷を中心 に LIVE, オーガナイズ , 楽曲制作を精力的に行っている。 サイド MC に至っては渋谷で一番マイクを握る男、盛り上がるパーティーには 不可欠な MC と言われる。 年間 300 本以上の現場に出演し、多くの実力派 DJ 達がこぞって欲しがる全フ ロア対応型ラッパー。 2015年6月「BULLMATIC」,2016年12 月には 2nd Album「Co-Laboratry」を発売。 2024 年 1 月には 3rd Album「BACK&FORTH EP」を発売。 SIDE MC としても活動しており渋谷を中心に活躍中。 さらにその活動は CLUB イベントに留まらず 2018年4月から原宿avex artist academyに新設されたラップボーカルコー スの講師をKEN THE 390,晋平太とともに勤めていた。 毎週水曜ABEMA TV内''abema mix'' 出演 w/DJ CELORY a.k.a Mr.Beats WREP ラジオ毎週金曜 18:00-20:00「ロクレプ」パーソナリティー ABEMA TV「ハイスクールダンジョン」にもオーガナイザーの Zeebra と共に 司会も務めた。 その他大型野外イベント、LIVE イベント、オンラインイベントにも多く出演している

