ヒップホップ好きのスポーツ選手や文化人のキャリアについてインタビューしていく「あの人も実はヒップホップ」。今月は岩手県奥州市を拠点にWEBデザイン、グラフィックデザインなどを行う株式会社 JAZZRIZE DESIGN (ジャズライズ デザイン)の代表であり、DJ、音楽プロデューサーとしても活動される梅田 浩司(うめだ・こうじ)さんに4回に渡ってお話をお伺いしました。Vol.3の今回は高校卒業後からJAZZRIZE DESIGN起業、そして東日本大震災での被災などについて話して頂きました。
前回の記事はこちら→ 奥州ヒップホップシーンを支える「JAZZRIZE DESIGN」代表・梅田浩司 のキャリアとは?
ガラス屋、建築現場、油揚げ….
ありとあらゆる仕事を経て辿り着いたデザインの道
【NYを代表するヒップホッププロデューサー、マーリー・マール氏と】
レペゼン:
今回は高校卒業後の生活についてお伺いさせてください。
梅田 浩司:
高校卒業後、まずガラスのサッシ屋さんに入ったんですけど、2ヶ月くらいで辞めてしまって。その後、いろいろな仕事をやりましたね。建設現場で働いたり、油揚げ屋さんに入ったり、薬の営業、服屋さんもやりました。ありとあらゆる業種を経験しましたね笑
【アパレル時代】
レペゼン:
デザインの世界にはどういった経緯で進まれたんですか?
梅田 浩司:
25〜26歳くらいの時に看板屋さんに就職して。そこでIllustratorやPhotoshopといったソフトの使い方を覚えたんです。小さい頃から絵を描くのは好きで、高校時代もイベントのフライヤーのデザインで自分でしたりしてはいたのですが、看板屋さんに入ったことで、本格的にデザインにのめり込むようになりました。
レペゼン:
良いですね。
看板屋さんは何年ぐらい働かれてたんですか?
梅田 浩司:
1〜2年くらいです。そのあと、今度はウェブの制作会社に入って、そこも2年くらい勤めましたね。で、29歳くらいの時に独立しました。
梅田浩司の
ローカル×カルチャー 仕事論
レペゼン:
独立にあたって苦労されたことはありましたか?
梅田 浩司:
立ち上げ自体で特に苦労したという記憶はないんですが、自分の立ち位置については考えていました。
音楽やスケートのカルチャーも好きだし、街づくりも好き。その狭間で「自分はどういう表現をしていけばいいのか」と悩んだ時期はありました。
レペゼン:
地元愛を感じます。
JAZZRIZE DESIGNを立ち上げたとき、すぐに仕事の依頼はあったんですか?
梅田 浩司:
最初にJAZZY SPORTさんの紹介で、DJ Mitsu the beats君のCDジャケットをデザインさせてもらって。そこから一気にいろんな仕事が広がっていきました。それから地元のお菓子屋さんのプライスプレートやポスター、あとは名刺などもデザインし始めてっていう感じですね。
レペゼン:
良いですね!
地方で活動するからこそのやりやすさや、逆に難しさはありますか?
梅田 浩司:
特にやりにくいと感じたことはないですね。逆に岩手の田舎だからこそ出せるデザインってあると思うんです。そこにどうスピリットを込めてアウトプットするかは常に意識していますね。
未曾有の災害、東日本大震災と
支えてくれたヒップホップ
レペゼン:
これまで会社を経営される中で、特に大変なことはありましたか?
梅田 浩司:
会社経営というか、やはり岩手県という地域的に一番大きかったのは、2011年の東日本大震災ですね。
うちは内陸なのでそこまで大きな被害はなかったんですが、沿岸部の津波による被害は本当にひどくて。
当時、気仙地方で開催されていたKESEN ROCK FESTIVALのポスターやWEBデザインをうちで担当していたのですが、主催の方々が住んでいたエリアが被災してしまって…。
そのとき、自分のブログで全国から支援物資を集めて、震災の1週間後くらいには沿岸まで友達と一緒に物資を届けに行きました。もちろん自分だけでなく、周りの仲間たちもみんな動いていましたね。
レペゼン:
本当に大変な時期ですよね…。
仕事に戻るのにはどれぐらい時間がかかったのでしょうか?
梅田 浩司:
1〜2ヶ月くらいは支援に動いていました。こっちも電気や水などのライフラインがしばらく使えなくて。電気が通ってから、少しずつ仕事も再開していきました。ただ当時の記憶は震災の衝撃が大きすぎて、正直あまり覚えていないですね…。
レペゼン:
そうですよね…。
その当時、勇気をもらった楽曲などはありますか?
梅田 浩司:
やっぱりGAGLEの『うぶごえ』ですね。
力強い未来に向かってみんなで「stand up!」する大きな力になりました。
まさに歌詞にもある「立ち上がって行こうぜ」というメッセージに勇気づけられましたね。あの曲と出会ってよかったなと思います。今でも3.11の日は聴いていますし、すごく好きな曲ですね。
プロフィール
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岩手県奥州市出身。学生時代にヒップホップカルチャーに魅了され、DJを始める。高校卒業後は大工、服飾、看板屋など約20か所の職場を経験。その後Webデザイン会社に入社、デザインスキルを磨き、2005年に独立、デザイン会社「JAZZRIZE DESIGN」を立ち上げる。地元企業のロゴ、Webサイトから国内外のヒップホップやジャズのアーティストのアートワークまで幅広いデザインを手がけ、2006年には地域コミュニティの拠点としてセレクトショップ兼カフェ「JAZZ RIZE STORE」をオープン。DJ Umeda a.k.a Jaymonkとしても活動し、ヒップホップやジャズを軸に多くのアーティストの楽曲プロデュースやデザインを担当。カルチャーと地域をつなぐクリエイターとして、地元・奥州市に根を張りながら活動を続けている。