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ヒップホップ好きのスポーツ選手や文化人のキャリアや仕事について全4回に渡ってインタビューしていく「あの人も実はヒップホップ」。今月のゲストは宮城県名取市でジャズ喫茶「PABLO」を経営されている村上辰大(むらかみ・たつひろ)さん。“ DJ辰 ”名義でヒップホップイベントやダンスバトルなどでもDJをされている村上さんのヒップホップキャリアについてお伺いしました。Vol.3は東日本大震災時のお話、アメリカの旅、そして「PABLO」との出会いについて。
前回の記事はこちら→ 宮城県名取市のジャズ喫茶「PABLO」二代目マスター、村上辰大 a.k.a. DJ辰とは?
東日本大震災。未曾有の災害の中で日々を生き抜く。
レペゼン:
今回は東日本大震災当時の状況、そしてジャズ喫茶「PABLO」を引き継いだ経緯について教えてください。
PABLO 村上辰大:
まず震災時の私の状況について言うと、震災発生時、私は内陸に住んでいたので、私を含め家族は無事でした。ただ、サラリーマン時代に勤務していた会社は海沿いにあったので、当時の同僚で家が全てなくなったり、親族が亡くなった方もいました。自分の知り合いも亡くなっています。
そんな中、震災直後はまず生きるのがやっとでした。電気が使えなかったので、パソコンも動かない状態で。映像制作は電気がないとできません。とにかく日々頑張って生き延びていたという状況でしたね。
レペゼン:
どのくらいの期間で電気が使えたり、元の生活に戻ることができたのですか?
PABLO 村上辰大:
電気自体は約 2 週間ほどで復旧しましたが、ある程度元の生活に戻るまでには半年以上かかりました。電気がないと何もできない自分の無力さを痛感している中で、「衣食住」に関わる仕事はなくならないと頭の片隅に残っていました。
レペゼン:
なるほど。そこからすぐに「PABLO」と出会うんですか?
PABLO 村上辰大:
いえ、まずそこから一時期アメリカに行くタイミングがあって。2014年頃、震災から少し落ち着いてきたタイミングですね。当時、ノマドワーカーという概念が流行していたこともあり、Wifiをつないで外で仕事をするスタイルに惹かれていて。自分が経営している映像デザイン制作会社のお仕事も安定して頂けていたので、Wifiさえあればアメリカでも仕事ができるのではないかと思い、アメリカで旅しながら仕事をすることにしたんです。
アメリカを旅しながらノマドワーク。サンフランシスコで出会った理想のカフェ
アリゾナ/セドナにて
シアトル/スターバックス 1 号店
PABLO 村上辰大:
旅はシアトル~ロサンゼルス~モニュメントバレーの約 4,000km を 車で移動し、道中カフェで wifi を使い仕事をしました。その旅の途中、サンフランシスコで「SIGHT GLASS」というカフェに出会うんです。そこは1階がカフェ、2階が事務所というスタイルで、自分が「こんなカフェがあったら良いな」と考えていた理想のイメージそのままだったんです。
【サンフランシスコのカフェ「SIGHT GLASS」】
PABLO 村上辰大:
ウッディーな素材とコンクリート張りの組み合わせの空間で、自転車が壁に掛けられたり、ペットも中に入れたりと、自由で開放的で活気に溢れていました。エネルギーがすごかったんです。その「SIGHT GLASS」との出会いが大きいですね。
レペゼン:
良いですね!
PABLO 村上辰大:
その時は、仕事が落ち着いた 60 代ぐらいに カフェを始められればなぐらいの感覚でした。そんな時に知り合ったのが現在の「PABLO」の店長である半澤で。彼女は当時、私の会社の事務所があった仙台の雑居ビルで雑貨を扱うお店をオープンしてて。ふらっと遊びに行ったのがきっかけで、話すようになったんです。半澤が雑貨の買い付けでサンフランシスコに行くことになり、 半年前に出会った SIGHT GLASS の話と、いつか SIGHT GLASS のようなカフェをできたらなという話をしたら、半澤が「似たような物件を知っている」と教えてくれて。それが前のマスターが震災で亡くなった後、手つかずだった「PABLO」だったんです。
ジャズ喫茶「PABLO」と運命の出会い
レペゼン:
そこでつながるんですね。
PABLO 村上辰大:
そうなんです。それで見るだけ見てみようかと。3.11 の震災時「PABLO」は幸いにも津波の被害はありませんでしたが、地震による揺れで建物が損壊していた状態でした。半澤と話をして PABLO に初めて行ったのが 2015 年だったのですが、3.11 のまま時が止まっていました。店内の壁は亀裂や抜け落ちがあり、音が鳴るかもわからない状況でしたが、壁一面のスピーカーと膨大なジャズのレコードを見て、前のマスターの音楽への愛情、そしてお店のこだわりが深く伝わってきました。
【震災直後、改装前の「PABLO」】
レペゼン:
それですぐに引き継ごうと?
PABLO 村上辰大:
その時点で引き継ぐことは考えていませんでした。 ただこれも何かのご縁かと思い、初代マスターの奥さんや娘さん そして半澤と一緒に色々なものを片付けながら、マスターのお人柄やお店の 昔の様子について教えて頂きました。お話しを伺う中で、初代マスターは 自転車が好きで、若い頃はカメラを使ってスチール写真を撮って いたことがわかりました。私は自転車で東北一周や大会にでたり、 映像でカメラをまわし、音楽が好きで DJ をしレコードかけている。
自転車、カメラ、レコードの三つが共通する人って自分、人生の中で出会ったことなかったんですよ。それで「あっこれは引き寄せられたんだ」と感じました。それで引き継ぐ決心をした形ですね。
レペゼン:
運命的ですね。
カフェ経営については、全くの未経験だったと思いますが、どのようにして始められたのですか?
PABLO 村上辰大:
まず最初は店の片付けですね。次に他の店の雰囲気や味、価格、お客さんの層など肌で感じるべく 喫茶店やカフェなど 100 軒近く足を運びました。あとはコーヒーのことや経営に関する本を読みながら。また半澤もコーヒーのことを学びにエチオピアまで行ってくれたりして。そういった周りの人たちや家族に助けてもらいながら、何とかオープンすることができました。
GAGLE『屍を越えて』に乗せて。つなげていく想いと意志
レペゼン:
震災後の生活、お店を引き継いだ時、非常に大変な時期だったと思います。何か支えとなった音楽や曲はありましたか?
PABLO 村上辰大:
震災後、そして「PABLO」をオープンする時に支えになったのは、GAGLE『屍を越えて』です。
【GAGLE『屍を越えて』】
PABLO 村上辰大:
リリックの中に込められたメッセージが、自分の気持ちと重なったんです。
特に、サビの部分の
次の世代へ 体と引き換え
機会与えた あんたに感謝
今屍を超えて行く 今までを超えて
遠く飛び越えて放電
今までを超えて行く 屍を超えて
遠く飛び越えてこーぜ
の箇所は響きますね。本当に乗り越える力を与えてくれました。リオープンの日にもインストのレコードを流しました。
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PABLO 村上辰大:
毎年、3月11日にもこの「屍を越えて」のインストのレコードを流してます。僕にとってとても大切な曲ですね。
プロフィール
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宮城県名取市のジャズ喫茶「PABLO」の二代目マスター。平日は株式会社ユジクラフトの映像クリエーターとして活動し、週末はDJ辰としてDJ活動を行う。海外および国内のダンスイベントでDJを務める、「音楽×映像」のハイブリッドクリエーター。 「COFFEE & SESSION PABLO」は、震災で主を失ったジャズ喫茶「Jazz in パブロ」を現在の店主、村上さんと半澤 さんが2017年12月に引き継ぎ、新たに誕生したジャズ喫茶。震災当時のまま時間が止まった店内に再び灯をともす場所として再生された。壁一面に配置されたスピーカーからはJazz、Jazzy Hip Hopなど多彩な音楽が流れ、コーヒーカップの黒い水面を揺らしている。古くからの常連客と新たな若い世代が集い、音と人とのセッションが生まれる空間となっている。